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2002年09月03日

(株)まるよしを追いつめた人の流れ

明治20年(1887)創業から実に115年、(株)まるよしの民事再生法適用で地元に激震が走った。ケンオー・ドットコムのサイトのアクセスは夕方から集中し、1日でふだんの2倍を超えるアクセスを数えたことからも明らかだ。

(株)まるよしは、ここまで追いつめられるに至った原因として競合店の進出や価格競争に巻き込まれたことをあげたが、それは三条に限った話ではない。それらが引き金になったのは確かだろうが、もっと昔に時計の針を戻してみる。

かつて本店はまさに同社にとって本丸であり、シンボルだった。仮にほかの店舗の営業成績がふるわなくても本社さえしっかりしていれば不採算店の縮小や整理で対応できたはずだ。

その本店が大きく揺らいだのが昭和61年、本店に隣接していた三条郵便局の移転だ。当時の郵便局長から「三条は変わったところだね」と言われた。何のことか聞き返すと、「ほかの町では商店街は郵便局の誘致に一生懸命なのに、三条は交通の支障になるからよそへ行ってくれって言うんだから」とあきれ顔で続けた。

当時の三条郵便局には駐車場がわずかしかなく、駐車場に入りきらない車が路上駐車し、郵便局に出入りする車で渋滞していた。実際に商店街がどれほど交通の問題を理由にしたのか、どれくらい郵便局の移転を願ったのかはわからない。いずれにしろ、三条郵便局の移転を機に周辺は車がスムースに流れるようになったが、それは人や車の量が減ったということにほかならない。

商店街は三条郵便局跡地に郵便局の施設を備えた複合店を建設する計画を進めたが、資金面などから計画は立ち消えになった。それから6年後に郵便局と反対側に隣接していた済生会三条病院が移転。この2つの移転により、それ以前とそれ以後の人の流れは激変した。

経営に行き詰まった同社は大手百貨店の資本を得ていったんは息を吹き返したかに思えたが一度、変わってしまった人の流れを元に戻すことはできなかった。

それにしても昨年2月のパルムからのジャスコの撤退、ことし2月の長崎屋東三条店の閉鎖と、地元を代表する店舗の幕引きが続いただけに、一段と重苦しさを感じる。時計の針を戻すことはできない。地元商店街には過去の栄華を取り戻そうとするより、新しい時代の商店街としての再生が期待される。

投稿者 masatosato | カテゴリー:コラム | コメント (0) | トラックバック (0)