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2003年06月25日
燕市の合併はどこへ行く…こうなったらウルトラC!
西蒲・吉田町との合併を想像してみよう
高橋燕市長が県央東部合併の協議の一時休止を関係市町村長に伝えたことで、新たな燕市の方向性が見えてきた。燕市議会は、県央東部合併については賛否が10対10に二分したが、単純に合併賛成派となると圧倒的に過半数を占める。県央東部合併に反対する市議の多くが、吉田町をはじめとした西蒲原郡の町村との合併を望んでいる。
となると、燕市が向かうのは、吉田町と分水・弥彦・寺泊合併検討協議会を取り込んだ西蒲原一帯の合併だ。では、その新市の将来像を想像してみよう。
燕市は三条市との接点に新幹線駅と高速道路のインタチェンジをもつ。これは県外など遠方から新市への玄関口となるのは言うまでもない。しかし、県内での玄関口は、県内を縦貫する国道116号線があり、JRの越後線と弥彦線が交差する吉田駅がある吉田町が玄関口となる。
いくら新幹線と高速道路という大動脈が利用できるといえ、新市の境界線にまたがるような場所では新市の中心とはなり得ない。
西蒲との合併後の新市の中心は吉田町
とりあえず吉田町との合併を選択したところで、次は分水、弥彦、寺泊との合併という方向にある。そうなれば新市の中心は燕市ではなく、吉田町に置くことになるのは当然だ。幸い、吉田町は道路の整備が行き届いている。新しい市庁舎は吉田町にとなるだろう。
そこで引っかかるのが消防だ。吉田、分水、寺泊、弥彦、岩室の5町村からなる西部広域消防事務組合だ。発足のときだったか、再編のときだったが時期は失念したが、当初、燕市も加わる予定だったのが、本部を吉田町に設置するとなった途端、燕市が白紙に戻したと聞いている。
それと市庁舎は別で、燕市は市庁舎なら吉田町に置いてもいいとなるのだろうか。そもそも、この一件で関係市町村との信頼関係にしこりが残っているとすれば、合併すらおぼつかない。吉田町との合併を推進する市議が、吉田町を中心とした新市の将来像を描いて県央東部合併に反対しているなら首をかしげざるを得ない。
一方、燕市が県央東部合併から完全離脱となれば、県央東部合併を構成する三条、栄、田上、下田の4市町村には大きな不信感を残すことになる。各首長とも表面上は穏やかでも内心は怒り心頭だろう。さらには燕市議会の合併をめぐる混乱も含めて、ほかの市町村議からは、ふつうに「レベルが低い」「あきれて言葉もない」といった声がふつうに聞かれる。
離脱してから西蒲方面との合併も実らず、やっぱり県央東部合併に戻ろうと思っても、今度は県央東部合併によって生まれた新市が強い拒否反応を示すのは自明。結局、燕市はどことも合併せず、独立独歩の道を歩むしかなくなる公算が大きい。
後戻りできないなら、ウルトラCでいいとこ取り
こうなったらウルトラCだ。巻町の四ツ郷屋地区のように市の境界を変えて編入というのはどうだろう。燕市・井土巻の三条市への編入だ。今も三条市では「井土巻は三条市になるべきだった」と話す人は少なくない。いっそのこと中ノ口川を新たな境界線にして南、殿島、東町まで含めて編入というのもすっきりする。これにより、新幹線駅とインタチェンジを中心に須頃郷の一体的な開発が可能になる。
そんな財源がどこにあるという人もいるだろうが、ある。合併特例債だ。県央東部合併によって得られる合併特例債の一部を須頃郷に振り向ければいい。もっとも開発は新市の都合が最優先になるわけだが、それでも須頃郷の開発が促進することは、燕市にとってメリットこそあれ、デメリットはないに等しく、検討の余地はあるのではないか。燕市が合併特例債を獲得する気がないなら、だが。
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投稿者 masatosato | カテゴリー:コラム | コメント (0) | トラックバック (0)
2003年06月18日
生き続けることが家族への思いやり
「死んでお詫びする」。ドラマや映画では聞き慣れた言葉だが、これは間違いと言わざるを得ない。詫びる気持ちがあるなら、絶対にやってはならないことのひとつが自殺だ。
金子勝吉田町長が自殺した。自殺にまで追い込まれた金子町長の心情は察するに余りある。詫びる気持ちからなのか、それとも生きていられないほど辛いことがあったのか。理由はわからない。しかし、どんな理由があるにしろ、厳しいようだが自殺は最悪の選択だ。
想像してほしい。ある日、突然に親、あるいは子どもが命を絶ったときのことを。肉親を失った悲しみに暮れるだろう。しかし、それは事故や病気で失っても同じだが、自殺は失った悲しみと同等か、人によってはそれよりはるかに大きな苦しみを生む。自責の念だ。
どうして自殺するまで追い込まれている気持ちを察してあげられなかったのだろう。それに気づいて何かしてあげていたら自殺していなかったのではないだろうか。友人から「あなたに責任はない」と慰められ、自分でも客観的に責任はないに等しいと頭で理解しても、それでも自分を責める気持ちを止めることはできない。
さらにエスカレートすると、肉親の自殺に対して加害者の意識をもってしまう。罪の意識にさいなまれ、深く傷ついた気持ちはその先10年、20年と死ぬまで消えない。それで一生を棒に振ったとしても、無理もない。
長引く不景気もあり、自殺者は大きく増加した。今もどこかで自殺を考えている人がいるだろう。しかし、強く、強く、想像してほしい。遺された肉親がどういう気持ちでその先、生きていかなければならないかを。
「死んでお詫びする」は多分にエゴイスティックであり、現実には「死んでまた迷惑をかける」だ。それが自殺の本意でないなら、自殺など考えるべきではない。どんなに申し訳なかろうと、辛かろうと、生き続けることが何にも勝る家族への思いやりであることを忘れないでほしい。
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投稿者 masatosato | カテゴリー:コラム | コメント (0) | トラックバック (0)
2003年06月16日
吉田町との合併推進が詭弁でないなら…
前回のコラムの続きから。人口規模が拡大したところでどうなるの?と、疑問をもつ人もいるだろう。それには上越市を見てみればいい。仮に上越市の合併がなく、今も高田市と直江津市のままだったらどうだろう。
今は当たり前のように県内の拠点として新潟、長岡、上越と言われるが、これも合併があればこそ。対外的に市の名前は消えたが、今も上越市に旧高田市と旧直江津市の区別が至るところに存在していると聞く。燕、三条両市が合併しても同じような形になるだろう。そうした区別は残るべくして残るならそれで構わない。それより、名よりも実をとる方が先ではないだろうか。
高田市と直江津市の場合、このままでは県内の周辺地域として孤立してしまうという危機感が合併の大きな原動力になった。今、新潟と長岡の谷間となりつつある県央地域も同じような状態に直面しているのではないだろうか。産業界でも今の危機的状況を乗り切るためにも、まず手をつけられる方策のひとつが合併なのではないだろうか。
燕市議会で県央東部合併に反対している市議の中に吉田町など西蒲原方面との合併なら賛成すると言う市議がいる。それらの市議はおそらく、これまで書いたような合併の必要性は認識しているのだろう。
だとしたら責任をもって西蒲原方面との合併の推進に手を貸すべきだ。県央東部合併に反対したはいいが、あとになって西蒲原方面との合併にも乗り気にならないようなら、西蒲原方面との合併をもち出したのは、そもそも合併に反対するための詭弁だったと言われかねないからネ。
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投稿者 masatosato | カテゴリー:コラム | コメント (0) | トラックバック (0)
2003年06月13日
「変わらない」という「変わった」選択肢へ向かう燕市
ケンオー・ドットコムでは、平成の大合併を仮定した合併後の人口比較を掲載した。これを見ると率直に燕市は「ホントに合併しなくて大丈夫かね〜」と心配になってしまう。
平成12年の県内の市町村別人口で燕市は、111市町村中の10位にある。それが平成の大合併後、今の枠組みのままで合併したとすると34市町村のなかの14位に後退する。その上位には佐渡地域や枠組みに市を含まない南部郷地域もある。
町の規模がすべてではない。しかし、ここ20年ほどの間に燕市はもちろん、三条市も含めてどれだけの国、県の施設ができ、補助金が交付されただろう。新潟市、長岡市、上越市と比べて歴然とした差がある。この違いと各市の人口は何も関連がないと言い切れる人はいないだろう。その意味では極端な言い方をすれば冷や飯を食わされてきたと言える。
燕市の寄って立つところも考えなければならない。燕市にとっては何を置いてもまず、重要視しなければならないの産業だ。産業あっての燕市であある。全国有数の地場産業の集積地、燕市と三条市との合併は、産業界にとって大きな有形、無形の大きな利益をもたらす。それが平成の大合併以前から両市の合併が叫ばれてきたゆえんだ。
国、県はもう当てにしない。地場産業がだめになっても経営する会社、勤める会社が大丈夫ならそれでいい。合併に反対するには、それくらいの覚悟が必要だ。裏返せば、だから大半の市町村が合併へ向かおうとしている。市町村の再編を進めて「変わろう」とする多くの市町村に対し、合併せずに「変わらない」を選択しようとする「変わった」燕市議会の決意は、いかほど?。
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投稿者 masatosato | カテゴリー:コラム | コメント (0) | トラックバック (0)