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生き続けることが家族への思いやり
スポンサードリンク「死んでお詫びする」。ドラマや映画では聞き慣れた言葉だが、これは間違いと言わざるを得ない。詫びる気持ちがあるなら、絶対にやってはならないことのひとつが自殺だ。
金子勝吉田町長が自殺した。自殺にまで追い込まれた金子町長の心情は察するに余りある。詫びる気持ちからなのか、それとも生きていられないほど辛いことがあったのか。理由はわからない。しかし、どんな理由があるにしろ、厳しいようだが自殺は最悪の選択だ。
想像してほしい。ある日、突然に親、あるいは子どもが命を絶ったときのことを。肉親を失った悲しみに暮れるだろう。しかし、それは事故や病気で失っても同じだが、自殺は失った悲しみと同等か、人によってはそれよりはるかに大きな苦しみを生む。自責の念だ。
どうして自殺するまで追い込まれている気持ちを察してあげられなかったのだろう。それに気づいて何かしてあげていたら自殺していなかったのではないだろうか。友人から「あなたに責任はない」と慰められ、自分でも客観的に責任はないに等しいと頭で理解しても、それでも自分を責める気持ちを止めることはできない。
さらにエスカレートすると、肉親の自殺に対して加害者の意識をもってしまう。罪の意識にさいなまれ、深く傷ついた気持ちはその先10年、20年と死ぬまで消えない。それで一生を棒に振ったとしても、無理もない。
長引く不景気もあり、自殺者は大きく増加した。今もどこかで自殺を考えている人がいるだろう。しかし、強く、強く、想像してほしい。遺された肉親がどういう気持ちでその先、生きていかなければならないかを。
「死んでお詫びする」は多分にエゴイスティックであり、現実には「死んでまた迷惑をかける」だ。それが自殺の本意でないなら、自殺など考えるべきではない。どんなに申し訳なかろうと、辛かろうと、生き続けることが何にも勝る家族への思いやりであることを忘れないでほしい。
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投稿者 masatosato : 2003年06月18日 12:04
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