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2006年04月28日
燕市長選の結果を旧燕市民はどうとらえたか
燕市長選は、公職選挙法違反で2人がつかまるというけちがついたが、ともかくも新しい燕市の市長は旧分水町長、小林清氏に決まった。新燕市民の選択の結果だが、この結果を旧燕市民はどのように受け止めてただろう。
現状では旧吉田町役場の吉田庁舎が市役所の本庁的な機能を果たし、旧分水町、吉田町の町議が市議会の正副議長に就き、さらに旧分水町長が市長に。言い方に異論はあるだろうが、旧燕市民から見れば、燕が吉田・分水連合にのみこまれたという印象だろう。同じ3つの地方自治体が合併したといっても、三条市のケースとは好対照だ。
しかし、合併してもさほど新鮮味のない三条市と比べ、新市を再構築するという意味からすれば、逆に好ましい結果と見ることもできる。問題はこの結果に旧燕市民が納得しているのか、あるいは「こんなはずじゃなかった」と思ったりはしていないのかだ。
三条市との合併が破綻する以前に、旧燕市にとって三条市との合併をあきらめ、旧吉田町、分水町との合併を選択するということは、旧吉田町を中心とする町づくりを進めるということを意味するといった趣旨をこのコラムでも書いた。
つまり三条市と合併して燕三条駅、三条燕インターを中心とした町づくりを進めるか、あるいは旧吉田町、分水町と合併して旧吉田町を中心とした町づくりを進めるかの選択だと。後者を選択した結果、予想された通りに旧吉田町を中心とした町づくりが進んでいるのは必然といえる。
にもかかわらず、一連の動きを歓迎している旧燕市民は少ない。投票日が近づくにつれ、高橋旧燕市長の当選はないという確信を深めていたが、旧燕市民は意外なほど高橋旧燕市長の当選を楽観視しているように見えた。
市長選では新庁舎建設が争点とされたが、投票行動を左右するほどの大きなものではなかったのではないだろうか。それよりも、旧吉田町、分水町が合併で旧燕市に吸収されるという危機感が小林氏の得票につながったように思う。また、そうした住民感情を取り込んだ小林氏の戦い方こそ評価されるべきともいえる。
いずれにしろ、旧燕市民に少なからず不満感がある。最も人口の多い旧燕市の住民を無視しては新燕市のかじ取りはおぼつかない。市職員の人心掌握についても同様であり、これから小林市長にはその手腕が試される。
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投稿者 masatosato | カテゴリー:コラム | コメント (0) | トラックバック (0)
2006年04月19日
燕南小学校合奏団とか(1)
珍しく早朝に起きて、車を走らせていた。目的地で車を停めようとしたとき、NHK FM『名曲の小箱』のアナウンサーが曲目を紹介していっぺんに目が覚めた。チャイコフスキー作曲『イタリア奇想曲』だった。
“!”、ときた人のなかには、燕南小学校OBがいることだろう。遠い遠い昔、今はどうなっているのか知らないが、燕南小学校には4年生以上が入団できる合奏団があった。当時、小学生のリード音楽コンクールで、県大会から全国大会へ進んで当たり前の強豪校だった。
合奏団に入って2年目、5年生のときの演奏曲が『イタリア奇想曲』だった。放送されたのは尾高忠明指揮、東京フィルハーモニー交響楽団の演奏。固唾をのみ、耳をダンボにして聴き入った。
合奏団はリード楽器のハーモニカやアコーディオンが中心の構成。対してラジオから流れてきたのは管弦楽なので趣はかなり違うが、まぎれもなく小学校時代のそれ。今時の言葉でいうところの鳥肌モノ。主旋律は今もほぼ完ぺきに頭に入っている。
今、聴いてみると、あらためて難易度の高い曲だったことがわかる。目まぐるしい展開、極端なリズムの変化。よく小学生で演奏できたものだと、我ながら驚いた。
夏休みは連日、学校へ通って練習した。蒸し風呂同然の体育館の汗くさいようなかびくさいようなにおい、ざらついたステージの床板、窓にはめ込まれたさびついた鉄格子。そして何よりの楽しみだった休憩時間のおやつの氷菓「桃太郎」。
はっきりした子どものころの記憶は小学校中学年くらいからなので、まさに合奏団での練習の日々は原風景となって強烈に刻み込まれている。
思い返せば、合奏団の思い出はずっと、誇りであり、財産だった。やればできるという単純なプラス思考を手に入れた。
それもこれも、合奏団を物心両面で支えた親や先生があったからこそ。今の子どもたちも、どこかで同じような大切な思い出を残せているだろうか。何を選択するかは子どもの自由だが、そのチャンスをどれだけ子どもたちに与えられるかが、おとなや社会の責務なのだろう。
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投稿者 masatosato | カテゴリー:コラム | コメント (0) | トラックバック (0)