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2006年05月28日

公のお墨付きの心霊スポット?

ちょっと古い話になるが、ゴールデンウィークに南魚沼市、旧入広瀬村の道の駅「いりひろせ」に立ち寄った。鏡ヶ池公園の鏡ヶ池のほとりにある。池の水面に逆さに映る新緑の守門岳、池のほとんどを覆う雪、そして池を囲む満開のサクラと、息をのむような里の春だった。


鏡ヶ池公園の看板

その駐車場に「鏡ヶ池公園」とある看板があった。公共の看板としてはやけに漫画っぽいイラストで周辺の地図が描かれている。そこで目がくぎ付けになったのが、「心霊スポット」の文字。それも幽霊のイラスト入りだ。

幽霊は白装束に青帯、顔は青白く、足はない。髪が長いので女性なのだろう。頭には三角の布(額烏帽子や紙冠というらしい)をつけ、ごていねいに火の玉もふたつ、浮かんでいる。

「心霊スポット」が!

心霊スポットへとつながる「旧道池の峠」は、あいにく雪で埋もれていて通られなかった。それにしても公共的な看板に「心霊スポット」とは。まさか看板業者が勝手に描き加えたわけではないはず。業者への発注原稿に「心霊スポット」を描き、完成後もしっかり確認したに違い。

残念なのは、いやでも興味を引かれる「心霊スポット」について、看板には何も記述がないこと。謎は深まるばかりだ。これは雪解け後に調査しなければと誓ったが、夜は避けて昼にしよう(笑)。

「遊歩道?登山道!」

ついでに看板には、ほかにも首をかしげる部分がいくつかある。下にあるのは「遊歩道?登山道!」。…って、どっちだよ〜。「遊歩道かも?。じゃなくて、登山道だよ!」と読み解くのだろうか。ひとりツッコミしてる場合じゃない。とか言いながら、こんなゆる〜い看板が大好きだ。

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2006年05月23日

携帯電話、今昔物語

携帯電話を買ったのは早い方だった。さすがに肩掛けの時代ではなかったが、初めて買った携帯電話はゾウが踏んでも壊れない筆入れくらい大きかった。当然、厚く、ずっしりと重く、スーツの内ポケットに入れると、重さでスーツが歪み、身につけるというより、かばんなどに入れて携帯するものといった感じ。死語と言ってもおかしくないポケベルが花形の時代。身近で携帯電話をもつ人はまれだった。

今となっては、うそのような話だが、当時、携帯電話否定派がかなりいた(笑)。そのほとんどは、最後に「一生、携帯電話はいらない」と嘲るように言い放ってくれた。そうした携帯電話否定派のすべてといっていい人たちが、今となっては携帯電話をもっているのは言うまでもない。

しかし、そこはおとな。携帯電話をもつようになった“元”携帯電話否定派をたいていはイジメなかったが、気まずそうに自分から言い訳を始める潔い人も。一部の親しい友人に対しては、まさに鬼の首を取ったように、思いっきりおちょくってあげた。それでイジメられた覚えのある人は、それは友情の証と、善意に受け止めてほしい(笑)。

元否定派の言い訳がまた、おもしろかった。示し合わせたかのように「…オレは必要ないんだけど…家族に持てと言われて…」(笑)。

いつか、子どもが「昔の人はケータイなしで、どうやって連絡をとりあってたの?。信じら〜んな〜い!」と言う時代が来ると当時、予言(笑)したが、実際にそうした声を聞くようになって愉快だ。

いち早く携帯電話を買ったのは、自由にどこからでも電話をかけたいという動機からだった。着信が嫌いなのは今も変わらず、携帯電話は常にサイレントモードだ。なるべく携帯電話の番号は教えない。用があるなら家の固定電話にくれ、と。

携帯電話の着信履歴をチェックするのも面倒くさくて、何度も携帯に電話したのに出ないと、ぶつぶつ文句を言われることもある。まったく不自由な時代になったものだ。とか言いながら、自分から人の携帯電話にかけてつながらないとイライラするのだが(笑)。

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2006年05月19日

電力会社のホームページに障害情報がないのはなぜ?

15日の停電には、まいった。停電の情報を掲載、発信しようにも、それに使うパソコンが停電しているのでは、手も足も出ない。電話連絡をと思っても、ISDNルーターに接続した固定電話は使えなかった。

昔と比べて企業のコミュニケーションツールは電気に大きく依存するようになっている。メール連絡はもちろん、遠くの営業所とネットワークで接続しているケースも珍しくない。IP電話もしかり。場合によっては停電で電話がつながらないために、倒産でもしたのではと勘繰られるようなこともあったかもしれない。

不思議なのは、東北電力のホームページに障害情報がないこと。昨年、新潟市を中心に大停電が発生する以前からおかしいと思っていたが、大停電後も障害情報のページはなく、今回の停電も翌日になってプレスリリースを掲載するにとどまった。ただ、これは東北電力に限った話ではなく、東京電力や関西電力でも同様のようだ。

プロバイダーではホームページの障害情報の掲載は常識で、必須ともいえる。停電はプロバイダの障害発生よりはるかに大きな社会影響を与えるにもかかわらず、障害情報を掲載しないのは納得できない。

もちろん、障害情報を知ったからといって停電の状況が変わるわけではない。しかし、停電復旧のおおよその時刻でもわかれば、次善の策を講じることができる。自治体や報道機関への速やかな発表は評価できるが、自前で周知できるホームページを利用しない手はないだろう。

プロバイダーならサービスに不満があれば、ほかのプロバイダーを利用すればいい。こっちの店が嫌いなら、あっちの店へ行けばいい。しかし、電力会社はガス会社などと同様、選択ができず、よその電力会社に代えることができず、必然的に公共性は高い。

障害情報を掲載しないのは、どうせほかの電力会社の乗り換えられないと、あぐらをかいていると邪推されても仕方ない。日常的ですらある原発事故の報告の遅れもそうだが、そうした利用者の邪推をぬぐい去ることができるかどうかは結局、電力会社の姿勢、取り組みにかかっている。

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2006年05月12日

なぜ、車のバッテリーは突然、だめになる?

夜遅く、友人の家から帰ろうと車に乗り込み、キーを回したら「キュルキュル…」。バッテリーがあがっていた。友人の車を借りて家へバッテリーを接続するケーブルを取りに帰ったが、「だるこっぺ」な性格もあって見つけられず、実家までケーブルを借りてようやくエンジンを始動させた。

その日の昼は、車で新潟市へ出掛けていた。新潟市でバッテリーがあがらなかったのは不幸中の幸いと思いながらも釈然としない。バッテリーは消耗品。あがるのは仕方ないが、なんで突然、その日がやってくるのか、ということだ。

車のスピードメーターと並ぶアラームランプのなかに、バッテリーの形をしたマークがある。これはバッテリーあがりを教えてくれるものかとも考えたが、バッテリーがあがればランプもつかなくなるわけで、意味がない。

バッテリー交換を頼んだカーディーラーの整備士に尋ねると、これはチャージ、充電の異常を知らせるランプとのこと。今時の高い車なら、バッテリーが弱ってくると教えてくれるの?と聞くと、バッテリー液が減ると教えてくれる車はあるらしいが、弱ってくることまで教えてくれないと言う。

これでバッテリーの劣化を判断できるのかどうかわらないが、例えばエンジンを切ったときにそのときの電圧を計測してフラッシュメモリに書き込み、次にエンジンをかけたときに再び電圧を測定して経過時間と電圧の低下量、できれば気温も勘案してバッテリーの劣化を計算し、あと何カ月くらいでバッテリーがだめになると知らせてくれるとかってわけにはいかないのだろうか?。

しかし、このハイテク時代に、なんで車のバッテリーがあがりそうなことくらい教えてくれないのだろう。ちょっと違うが、パソコンだって携帯電話だってバッテリー残量を表示してくれる。何百万円もする車にそれくらいの機能があってしかるべきと思うし、突然、バッテリーがだめになって最も困るものが車だ。

運転席のシートを電動で上下させたり、内装を着せ替えできたりする機能より、バッテリーあがりを教えてくれる機能の方がずっと大切じゃないの?。ただ、バッテリーの劣化の警告があったとして、実際にバッテリーがだめになる前に大枚はたいて交換するか?と問われると、なんとも…。

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2006年05月09日

ことしの夏、猛暑は「よしず」でどこまでしのげるか?

9日、10日と、ついに耐えきれずにことし初めて冷房をつけた。三条市の気温は25度の夏日にも届かなかったが、仕事部屋は西向き窓で、昼過ぎからじりじりと暑くなっていく。

つけっぱなしのパソコンなどの電気製品から出る熱もばかにならない。室温が上がると、パソコンの内蔵ファンの回転音も高くなり、仕事をしていても耳障りったらありゃしない。

窓を開け、上半身裸になっても室内の温度計はほぼ30度。我慢をあきらめ、窓を閉めてエアコンのスイッチを入れた。

西日がきついのは毎年のこと。2つある西向きの1間幅の窓には遮光カーテンを下げ、夏は西日が差し込むとともにカーテンを閉めているが、思ったほどの効果はない。窓ガラスをさわってみればわかる。体温よりはるかに熱くなっている。

正確に測ったことはないが、9日でも窓ガラスは50度くらいあろうかという暑さ。つまり約1畳の大きさの窓ガラス4枚、4畳分の50度に上がるパネルヒーターを設置しているようなもの。これでは部屋が暑いのは当たり前だ。

だから仕方ないとあきらめるのもしゃくに障る。窓ガラスが熱くならないようにすれば、かなり緩和されるはず。で、最近、思いついた。日本伝統の「よしず(葦簀)」の登場だ!。これなら窓ガラスに直接、当たる日差しを和らげてくれ、確実に効果があるはずだ。

まだ入手していないが、ネットでオンラインショッピングを調べると、洋風のものもある。洋風のものは特殊素材とあったりして、「燃えるごみ」に出せるんだろうかと考えたり、店舗のひさしによくあるテントスクリーンは値が張る。さらに考えれば、よしずは日陰をつくっても、すき間から風が抜ける。昔の人はよく考えたものだと感心したり。

そもそも、エアコンの電気代がもったいないという動機から始まったが、考えてみればCo2削減にもつながる。この夏は「よしず」をゲットしよう。皆さんも「よしず」はいかが?。

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2006年05月08日

IE7 Beta2登場、ブラウザの互換性問題は改善する?

マイクロソフトは9日、「Internet Explorer 7 Beta 2」を公開した。 5年ぶりのメジャーバージョンアップになるとのことで、待ちに待ったという感じだ。待ちに待ったと言っても、わくわくしていたのではなく、歯をぎりぎりいわせて待っていた。

ウェブデザイナーならわかるだろう。IE6の独自仕様は悩みの種だった。とくに問題だったのは、ウェブの視覚的な表現を実現するCSS(カスケーディング・スタイル・シート)への対応。なかでもCSSで基本的なパディング、マージンといった余白は、IEでは指定通りに機能しない。これはウェブの標準仕様を定める非営利組織、W3Cが定める仕様を逸脱しており、独自仕様ではすまされない。

問題なのは、IE6に独自仕様が多いことより、IE6のシェアが高いことにある。最も独自仕様の多いブラウザがデファクトスタンダードとなっている状況だ。そのため、W3Cの仕様にのっとってウェブページを作成すれば、IE以外のブラウザではほぼ問題なく表示されるのに、IEだけで表示がおかしくなってしまうため、W3Cに沿ったページを制作してから、IEでも正しく表示できるように修正を加えるという手順で制作を進めているデザイナーも多いだろう。

そのため、自分でページを制作するときはなるべくIEで表示が崩れない無難なCSSだけを使うよう努めてきた。裏返せば、IEのCSS対応の遅れが少なからず、ウェブ制作の現場のCSS対応の遅れ影響してきたと考えられる。

確認していないが、こうした独自仕様の多くはIE7でほとんど改善しているのだろうが、それはそれで新たな問題が発生する可能性も。IE6でしかページの表示を検証していないページは、IE7で大きく崩れる可能性がある。ブラウザが世界でひとつだけにでもならない限り、互換性の問題には永遠にウェブデザイナーを悩ませ続けるのだろう。

関連リンク:Internet Explorer 7: 新機能のツアー

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燕南小学校合奏団とか(2)

「三つ子の魂百まで」。3歳くらいまで、幼少期に形成された性格は一生変わらないという意味。燕南小学校合奏団に入団したのは、4年生のとき。「三つ子」よりはかなり後になるが、人格形成に与えた影響は大きい。

合奏団では、6年生から団長が選ばれる。どんな方法で選ばれたのか覚えていないが、ともかくも団長になった。全国大会へ向かう列車(おそらく「とき」)で、先生から東京へ着くまでおやつの菓子は食べないようにとの注意があったのに、団長自ら率先して菓子を食べてこっぴどく怒られた…と、この年になっても親に嘲笑される。団長に不向きだったのは、言うまでもない。

それはさておき、おもしろいのは今も続く「団長つながり」だ。名前をアルファベットで隠すのも犯罪者みたいなので、わかる人にはわかるニックネームで。1学年上の団長がマル。1学年下の団長がウッチャ。2つ下は名前を伏せるまでもないが、燕の「夢工場」でCDを出した、「燕のまちは…」など地元ソングでおなじみのヤシロ。

小学校卒業後はつきあいが途切れたが、気がつけばこの3人とそこそこ、付き合いがある。自分とマルはロック、ウッチャはジャズ、矢代はフォーク。ジャンルこそ違うが、今もそれぞれのペースで音楽活動を続けている。

機会があったら歴代団長をメンバーに「合奏団ズ」というバンドでも組んでどこかに出演しようかと企んでいたりするもするが、尻が重い性分だけに、企んだだけで終わりそうな気も…。

関連リンク:燕・夢工場の制作で矢代秀晴さん初のCD『ダスケニ ラコテサ』リリース(2006.3.16)(ケンオー・ドットコムのニュースタンク)

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2006年05月01日

選挙の洗礼が政治家をつくる

三条市議選で杉井旬氏が3位の得票で見事、初当選した。杉井氏とは十数年間、同僚記者として職場を共にした。同い年で誕生日は1日違い。東京の大学を中退、ロックバンドを組んでいて、若いころは互いに長髪でと、似通った部分が多く(その割に全然、違うというツッコミはなしで…)、妙な親近感がある。ということで、名前に敬称をつけるのは面はゆいので、ここから「氏」抜きに。

杉井の方が入社が1年余り早く、同い年でも先輩にあたる。社会人1年生には、1年先輩の杉井が、はるかにおとなに映った。それは「1年」のキャリアの差だけでなく、人間の大きさというか、懐の深さとか、人徳とか、器とかといった部分。杉井には一生、逆立ちしたってかなわね〜な〜、と思い、今もそう思っている。

相談というほどではないが、杉井から市議選出馬の話を初めて聞いたときは、驚きよりも「やっぱり」や「ついにその気になったか」という思いだった。

記者時代、記事を書いても、書いても「結局、何も変わらないんだよな…」と杉井がこぼすのを何度か聞いた。ペンの力とはいうが、確かに記事を書くことで社会問題になっても、それで最終的な結果が変わることは意外に少ない。大山鳴動して鼠一匹、世間を騒がせただけで終わってしまうのが常。記者としての無力さや歯がゆさを感じていた杉井が政治の世界へ向かったのは必然だった。

ジャーナリスト出身の政治家は珍しくないが、記者と政治家では大違いだ。ふがいない力士を桟敷席から野次るのは簡単だが、今度は土俵に立たなければならない。杉井の能力には何の疑いももっていないが、唯一、気がかりだったのが、「政治家」になれるかということだった。

杉井が本格的に運動に取り組み始めた当初、演説は持論を訴えながら出席者に賛同を求めるという、控えめな姿勢で、集会でも応援弁士の迫力に太刀打ちできず、明らかに見劣りした。

言葉の最後を「…と思います。」で締めくくるのが目立ったので、僭越だが「きっぱりと言い切った方がいいんじゃね〜の?」とアドバイスしたこともあった。

しかし、杉井が支持を求めて頭を下げ、集会を重ねるうちにみるみる「政治家」へと変わっていったのは、二十数年来の付き合いからも想像以上で、驚きだった。

象徴的だったのは、終盤の演説で県央地域に救命救急センターがない問題を指摘し、聴衆に向かって「それは皆さんが問題にしなかったから」と突きつけたときだ。続けて、市議がそうした問題や情報を市民に伝えなかったのが原因と結びつけたが、市民に矛先を向けるという論法の組み立ては、序盤の演説ではあり得なかった。

その日の演説を文字にすれば、お世辞にもうまいとはいえなかったが、杉井の「政治家」としてのは気迫、揺るぎない確信から生まれる説得力は、話術の拙さをはるかに上回り、聴衆をのみこんだ。

杉井の選挙戦を通して見て、初めて知ったのが、選挙は政治家になるための通過儀礼として必須であるということ。選挙戦で有権者に訴えたことはそのまま、自分への義務や責任として跳ね返ってくる。

持論を訴え、支持を求めるからには、それに見合うだけの信念や確信をもたなければならず、それが「政治家」にふさわしい姿勢や態度をつくっていくのだろう。

政治家は選挙のときだけ頭をペコペコ下げるという言葉をしばしば有権者から聞く。今までは深く考えずにその通りと思っていたが、選挙には「政治家」をつくるという大事な役割があることを思い知らされた。またひとつ、杉井に勉強させてもらった。

関連リンク:杉井ひとしの「スギヒット」

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