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選挙の洗礼が政治家をつくる

三条市議選で杉井旬氏が3位の得票で見事、初当選した。杉井氏とは十数年間、同僚記者として職場を共にした。同い年で誕生日は1日違い。東京の大学を中退、ロックバンドを組んでいて、若いころは互いに長髪でと、似通った部分が多く(その割に全然、違うというツッコミはなしで…)、妙な親近感がある。ということで、名前に敬称をつけるのは面はゆいので、ここから「氏」抜きに。

杉井の方が入社が1年余り早く、同い年でも先輩にあたる。社会人1年生には、1年先輩の杉井が、はるかにおとなに映った。それは「1年」のキャリアの差だけでなく、人間の大きさというか、懐の深さとか、人徳とか、器とかといった部分。杉井には一生、逆立ちしたってかなわね〜な〜、と思い、今もそう思っている。

相談というほどではないが、杉井から市議選出馬の話を初めて聞いたときは、驚きよりも「やっぱり」や「ついにその気になったか」という思いだった。

記者時代、記事を書いても、書いても「結局、何も変わらないんだよな…」と杉井がこぼすのを何度か聞いた。ペンの力とはいうが、確かに記事を書くことで社会問題になっても、それで最終的な結果が変わることは意外に少ない。大山鳴動して鼠一匹、世間を騒がせただけで終わってしまうのが常。記者としての無力さや歯がゆさを感じていた杉井が政治の世界へ向かったのは必然だった。

ジャーナリスト出身の政治家は珍しくないが、記者と政治家では大違いだ。ふがいない力士を桟敷席から野次るのは簡単だが、今度は土俵に立たなければならない。杉井の能力には何の疑いももっていないが、唯一、気がかりだったのが、「政治家」になれるかということだった。

杉井が本格的に運動に取り組み始めた当初、演説は持論を訴えながら出席者に賛同を求めるという、控えめな姿勢で、集会でも応援弁士の迫力に太刀打ちできず、明らかに見劣りした。

言葉の最後を「…と思います。」で締めくくるのが目立ったので、僭越だが「きっぱりと言い切った方がいいんじゃね〜の?」とアドバイスしたこともあった。

しかし、杉井が支持を求めて頭を下げ、集会を重ねるうちにみるみる「政治家」へと変わっていったのは、二十数年来の付き合いからも想像以上で、驚きだった。

象徴的だったのは、終盤の演説で県央地域に救命救急センターがない問題を指摘し、聴衆に向かって「それは皆さんが問題にしなかったから」と突きつけたときだ。続けて、市議がそうした問題や情報を市民に伝えなかったのが原因と結びつけたが、市民に矛先を向けるという論法の組み立ては、序盤の演説ではあり得なかった。

その日の演説を文字にすれば、お世辞にもうまいとはいえなかったが、杉井の「政治家」としてのは気迫、揺るぎない確信から生まれる説得力は、話術の拙さをはるかに上回り、聴衆をのみこんだ。

杉井の選挙戦を通して見て、初めて知ったのが、選挙は政治家になるための通過儀礼として必須であるということ。選挙戦で有権者に訴えたことはそのまま、自分への義務や責任として跳ね返ってくる。

持論を訴え、支持を求めるからには、それに見合うだけの信念や確信をもたなければならず、それが「政治家」にふさわしい姿勢や態度をつくっていくのだろう。

政治家は選挙のときだけ頭をペコペコ下げるという言葉をしばしば有権者から聞く。今までは深く考えずにその通りと思っていたが、選挙には「政治家」をつくるという大事な役割があることを思い知らされた。またひとつ、杉井に勉強させてもらった。

関連リンク:杉井ひとしの「スギヒット」

投稿者 masatosato : 2006年05月01日 12:14

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