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7・13水害から2年たって(1)退職した市職員の知恵の活用
「7・13水害から間もなく2年」のテーマでこの連載を始めたが、書き尽くさないうちに2年が過ぎてしまったので、「7・13水害から“2年たって”」に変えて仕切り直し。
7・13水害の夜、ちょうど日付が変わったころに市役所へ向かった。災害対策本部の様子は、のちに“未曾有の”と枕ことばがつくようになった大災害の割には、異様な静けさだった。幹部職員がずらりと顔をそろえていたものの、何も打つ手がなく、いすに座り、腕組みして神妙な表情。仕事といえば、時々かかってくる電話に対応するくらいだった。
仕事がなければ仮眠をとるなり、家に帰って寝るなりして、翌日のために英気を養う方が得策と思うが、大災害を前にしては、それができなかった気持ちはわかる。また、「船頭多くして船山に上る」も困るが、対策本部は逆に船頭のなり手がいないといった印象だった。
「天災は忘れた頃にやってくる」ではないが、タイミングも悪かったように思う。7・13水害とは比べものにならないが、昭和38年の三八豪雪、続く39年の新潟地震。さらに36年には御蔵橋、新大橋、渡瀬橋が流失、数カ所で堤防が決壊した8・5集中豪雨、39年には五十嵐川が氾濫した7・7水害。昭和30年代半ばから後半にかけて集中した大災害以降、7・13水害まで三条市は大きな災害を免れていた。
大災害の空白期間を数えると40年余り。これが意味するのは、当時、大災害に直面し、対応にあたった職員のほとんどがすでに退職していたということ。もし、7・13水害が10年も前に発生していたら、三条市の対応は違っていたのではないかと思えてならない。
避難所に支援物資を運び込んだら支援物資を仕分けするスペースがなくなり、配ろうにも配れなくなるということは、大災害を経験した人なら容易に推測できたのではないか。横の連携がとれず、現場で職員が正反対の行動をとっていることもたびたびあった。細かなことをあげればきりがない。
提案したいのが退職者の知恵であり、経験の活用だ。退職者辞令交付式で歴代市長は必ず、市職員で培った経験を今後も市政に生かしてほしいといった内容のあいさつを話している。7・13水害のようなときこそ、退職者の知恵を借りるときではないか。
長寿社会で70歳では現役と大差なく、80歳を過ぎても元気な人は多い。何もせずに対応を考えている時間があったらまず、消防関係を中心に過去の大災害を経験した退職者を対策本部に招き、教えを請うべきだったのではないだろうか。
ただ、7・13水害の対応を問題視しているのではない。例えば10年後に三条市が再び大災害に見舞われれば、7・13水害を体験した職員は今回よりもはるかに迅速、的確に対応できるだろう。しかし、40年後、50年後に大災害に見舞われたらどうだろう。今回と同じようになりはしないだろうか。
河川改修をしたところで、やはり設計で想定した以上の雨が降れば川はあふれ、決壊することもあり、絶対安全はない。そうである以上、7・13水害の記憶をしっかり頭に刻み込み、教訓にして子へ、孫へと伝え、市民の間に防災意識をしっかりと定着させることが、次の大災害への備えとして極めて重要な意味をもつ。
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投稿者 masatosato : 2006年07月15日 04:09
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