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7・13水害から2年たって(2)低かった市民の防災意識や危機意識

7・13水害では、三条市の避難勧告を出すタイミングや大雨で広報車の音が聞こえなかったという問題をマスコミは盛んに取りあげたが、それは大した問題ではなかったと思う。それ以前に市民の防災に対する意識の低さが問題だった。

堤防決壊を報じてすぐ、嵐南地区に住む知り合いに電話し、状況を確認するとともに避難を勧めた。しかし、知り合いからの答えは、家の前に水は来ていないから大丈夫ということだった。電話を切ってから数十分後に、その知り合いの家は1階の天井まで届くほどの水につかり、知り合いは水没した町に取り残された。

住民に町が水没するイメージがなかった。堤防決壊でもせいぜい床下浸水くらいに思っていた人が大半だろう。その原因のひとつに、小さな水害に慣れっこになっていた事実がある。

そもそも、江戸時代ころの四日町など嵐南地区は湿地帯であり、遊水地としての機能を果たしていた。そこに人が住むようになったわけで、堤防が切れなくても大雨が降るたびに道路が冠水、床下浸水が発生するのは当然だ。いざ、堤防が決壊しても、その延長くらいに考えてしまったのもやむ得ない面がある。

しかし、はた目にはかなり異常な状態だった。燕市に生まれたが、今でこそ開発が進んだ燕三条駅周辺で冠水などが発生するが、それまでは燕市内で大雨による被害はほとんど聞いたことがなかった。

一方、三条市では大雨のたびに屋根の上を流れる五十嵐川に恐怖を感じた。五十嵐川の水位が上がると、中新や諏訪には堤防下に水の通り道があり、川の水圧が上がると、決まってそこから水が噴き出したが、市民は意外なほど冷静だった。

頻繁に大雨被害を受け、堤防決壊の危険にさらされている嵐南地区(嵐北地区も似たようなもの)の住宅地は、商品でいえば品質の低い土地だ。ところが、地価は燕市内の住宅地より5割は高いのではないだろうか。そのことをたびたび三条市民にただしたが、聞く耳をもつ人はなく、逆に「何を言い出すんだ」と変人扱いされることも。

もちろん、地価は需要と供給によって決まるわけだが、そこには水害に対するリスクが計算に入っていなかったのではないだろうか。7・13水害以降、三条市民は大雨に対して過敏なほど神経質になっているが、今の方が正常な防災意識が働いているといえる。

今のような防災意識があれば、仮に再び堤防が切れるようなことがあっても、住民は自主的にでも速やかに避難し、死者が出るような最悪の事態は免れるだろう。しかし、この意識をいつまで持ち続けられるかだ。大雨のたびに三条市が警戒体制をとっても、10年、20年と大事に至らなければ、いつかは『狼と少年』となり、再び大雨が降っても「またか」となる。

投稿者 masatosato : 2006年07月21日 05:21

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コメント

いつも拝読させていただいています。
正直私も ずーっと同じ事考えていました。

確かに 2年前の災害に関しては 行政側の失策も
大きかったと思いますが、やはり住民側の意識も
かなり低かったと思います。

私も 2年前の7月13日、午前中からの異様な状態に
嵐地区に住む、友人、知人に何度も避難を勧めましたが
誰一人として 受け入れてもらえず結果的に 家に取り残され、
自衛隊に救助された人がいます。

誰かに 100%責任があるのではなく、行政、住民、
皆 それぞれが きちんと意識して 行動を取ることが
一番重要だと思う 今日この頃です。

投稿者 muznko : 2006年07月18日 19:34

コメントをありがとうございます。同じように考えていた方がいらして正直、ホッとっしているところです。

次回は、防災意識を高めた状態をいかに維持していくか、について書こうと思っていますが、「不定期ドットコラム」なので、いつになることやら…。

p.s. コメントの日付が正常に表示されておらず、申し訳ありません。調べてみますが、直せないかも(笑)。

投稿者 管理人 : 2006年07月22日 02:31

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