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「若さ」「よそ者」は三条市長としてマイナス?
三条市長選に名乗りをあげた国定勇人氏に対する批判的な声が「若さ」と「よそ者」の言葉に集約にされている。的を射た意見のように聞こえるが、それが正しい判断かどうかは、過去にさかのぼって逆説的に考えればわかりやすい。
20年余り前を振り返ってみてほしい。県央地域の玄関口となる三条・燕インタ、燕三条駅が相次いで完成。三条の商店街も休日にシャッター通りとなることはなく、今と比べればはるかに活気にあふれていた。
交通の大動脈が整備され、期待感が広がる一方で、将来に対する危機感も高まりつつあった。金物卸業界だっただろうか。中小零細企業に事業継続に関するアンケートをとるたび、現経営者の代で廃業するという回答が大半だった。複雑でコストがかかっていた流通の構造的問題もあるが、これまではアンケートの結果通りに淘汰が進んできた。
商店街の経営者も後継者がいないどころが、子どもには店を継がせたくないと考える人がほとんどだった。これもその通りに今日まで歩んできた。その間、市長を務めてきたのは「高齢?」な「地元出身」の市長である。三条に生まれ育ち、経験豊かな市長でも三条を低迷へと導く時代の潮流に逆らうことはできなかった。そう考えると、「若さ」も「よそ者」も国定氏への批判の言葉にはあたらないし、それを理由に批判する人たちは歴代市長の功績を高く評価しているのだろう。
若い、よそ者が三条市長に就いたことはないので、市民が不安に思うのは当然だが、今の高橋三条市長にしたところで元は経営者。助役や市議からの市長ならあるていど想像はできるが、いくら長い経営の経験があろうと、その手腕を市長としてどれだけ発揮できるか、力量にしてもまったくの未知数だったはずで、やってみなければわからないというのが正直なところだ。
一方、国定氏が三条市には「魅力」があり、「好き」と正面切って公言していることに、歯が浮くような違和感を感じた。三条市民の多くは、それなりに郷土愛はあるだろうが、いったいどれくらいの人が胸を張って三条市に魅力があり、好きだと言えるだろうか。そう言い切れない理由は、前段で書いた「古き良き時代」の三条を知っていて、それと比べてしまうからではないだろうか。
ごく一握りのいわば勝ち組を除いて市民も企業もすっかり疲弊した。産業界も中国特需で一息ついたとはいえ、さらにその先を見据えると明るさは見えてこない。それでも全国の平均的な市町村と比べれ、三条市は依然としてはるかにしっかりとした地場産業に恵まれているが、市民はどうしても「古き良き時代」と比べて今を嘆いてしまう。
国定氏は三条市の「古き良き時代」を知らない。昔と比べるから今の三条市に落胆するが、客観的に三条市を評価すれば、今も魅力的なまちのひとつであることに変わりないと、国定氏が教えてくれているようにも思う。三条市はいったん、産業構造を精算、リセットし、ゼロベースで再スタートする時期に来ているのかもしれない。
また、国定氏の後援会の役員には業界の重鎮が名を連ねる。その役員から見れば国定氏は子ども、下手すれば孫の世代。旧体制から新しい世代への禅譲とみれば、三条市政にとってのパラダイムシフトとなる可能性も秘めている。
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投稿者 masatosato : 2006年10月16日 01:49
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コメント
11/1 文中
段階の世代 → 団塊の世代
スミマセン気になりましたので・・・m(_ _)m
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投稿者 匿名 : 2006年11月01日 15:12