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高橋市政7年半の是非を問う三条市長選って、あり?

三条市長選告示が目前に迫っている。国定氏と山井氏の一騎打ちが濃厚だが、三条市の未来を託す市長の選択というよりは、高橋市政7年半の是非を問うという構図が前面に出て、まるでそれが争点のようになっている。

得てして本質とは異なる部分に焦点が当たり、立候補者が好むと好まざるとにかかわらず争点になってしまうのが選挙、と言ってしまえばそれまでだが、選挙の勝敗に一喜一憂するのは、その場限りのこと。しかし、その結果は市長の任期中、4年間続く。

昨秋の衆院選では、小泉前首相は郵政民営化を争点としたが、刺客を送り込まれた選挙区では、その非情ともいえる手法に対する是非が有権者の投票行動を大きく左右した。それが今度は復党だのなんだので泥仕合。衆院選での自民党の歴史的大勝は何だったんだろうという気になってくる。

先に行われた合併して初めての燕市の市長選では、旧燕市の職員の多くが旧燕市長の高橋氏に投票しなかったと聞いている。高橋氏に投票したのは職員のうち2、3割という観測もある。

ところが、今になって吉田地区が燕市の中心となりつつあることに危機感を募らせる旧燕市職員が少なからずいる。このコラムでも旧燕、吉田、分水の3市町合併は吉田地区中心のまちづくりを進めるということを意味すると重ねて書いてきた。現実はその通りに進んでいるだけのことで、そこで働く旧燕市職員は誰よりもそのことを承知していたはずだ。

旧燕市職員が、より燕地区を中心としたまちづくりを望むなら当然、好き嫌いにかかわらず旧燕市長の当選が最優先だったはずだが、そこが業とでもいうのだろうか。旧燕市長への反発心の火は簡単には消えず、感情が客観的な判断さえ狂わせる。

三条市長選に話を戻すと、そもそも高橋市政に対する是非が争点になった始まりは、任期途中の突然の辞職から後継者指名へと向かった高橋前市長の一連の行動にある。それに反発して市議らが山井氏を担いだことには大義があり、高橋前市長はそれを責める立場にない。

だからといって有権者が高橋市政に対する是非を投票行動に直結させるのは危険だ。すでに高橋前市長は退いた。高橋前市長が立候補するというなら高橋市政の是非を問うべきだが、新たな立候補者の選択を高橋市政の是非で判断するのは道理に合わない。

ジョン・レノンの「Imagine(イマジン)」ではないが、想像してほしい。今度の市長選の当選者の任期が満了する4年後は平成22年、2010年。団塊の世代の退職がピークを迎える「2010年問題」の年で、五十嵐川災害復旧助成事業もこの年に完了する。その4年間をそれぞれの立候補予定者が三条市政のかじを取っている姿を想像してほしい。

それには立候補予定者を本人を知らなければ始まらない。国定氏は地元出身でなく、知名度が低いとはいえ、山井氏にしても直接、会ったことのない市民が大半だ。幸い3日午後1時半から三条市厚生福祉会館で燕三条青年会議所が「まちづくりフォーラム・三条市公開討論会」を開き、両氏をパネリストにパネルディスカッションを行う。

もちろんここで両氏のすべてを知ることはできないが、人柄や市政に対する考えや意欲の一端でも垣間見えるはずで、3連休初日の日中という間の悪い日程だが、市長選の本質に立って三条市の未来を託す人物を自分の目で見極めたいものだ。

【関連リンク】
社団法人燕三条青年会議所トップページ<新潟県>
http://www.tsubamesanjo-jc.or.jp/2006/blog/

投稿者 masatosato : 2006年11月01日 02:51

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コメント

読み返したつもりなのに、お恥ずかしい…。「段階」ではなく「団塊」でした。修正いたしました。

投稿者 管理人 : 2006年11月01日 20:21

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