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2008年08月29日
“かみわずみじゅん”って懐かしくない?
テニスの四大大会のひとつ、全米オープンの男子シングルスで、錦織圭が3回戦に進出した。先のウインブルドンで初めて錦織圭のプレーをじっくり見た。初戦で腹筋を痛めて棄権したが、十分に勝てる内容だった。
テニスの技術やパワーはもちろんだが、すごいのはその存在感。性格もあるのだろうが、松岡修造が世界のプレーヤーのなかで必至に食い下がり、立ち向かっているのが映像からも伝わってくるのとは対称的に、錦織圭は、さもそこにいるのが当然かのように、ふつうに世界の舞台に溶け込んでいる。
まあ、そんなことは評論家の方がはるかに詳しいわけで、だらだら書いてもしようがないが、注目したのは、この錦織の快進撃を伝えるニュース。全米オープンの日本男子の3回戦出場は、“神和住純”以来という。“神和住純”だぞ。“かみわずみ・じゅん”。何十年ぶりにその名前を目にしただろう。スポーツ漫画の主人公のようなできすぎた名前で、その響きが何とも懐かしい。
スウェーデンのビョルン・ボルグとアメリカのジミー・コナーズが世界の頂点を争っていた時代、日本のテニスプレーヤーと言えば神和住純だった。いかにも育ちの良さそうなフォトジェニックな甘いマスクで、日本人では戦後初のトーナメントプロ。1970年代半ばにテニスが最大のブームを迎えたとき、男子プレーヤーの理想像だった。
あらためてネットで検索してみると、今は日本テニス協会理事。すでに還暦を過ぎたが、近影を見ると甘いマスクは健在。テニスが注目されたり、まれに知り合いとテニスに興じるとときも“神和住純”を思い出すことはまったくなかっただけに、懐かしい。
テニスつながりで言えば、高校三年生になる甥っ子が、ソフトテニスでインターハイに出場、観戦、応援してきた。気が向いたらそのときでも書こうかな。
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2008年08月26日
姫ノ城から狼煙なんてどうよ?
弥彦観光協会のホームページに「にいがた狼煙(のろし)プロジェクト2008」へのリンクがあるのを見つけた。弥彦もプロジェクトに参加、あるいは協力するのだろう。
プロジェクトの内容を今一、把握していないが、ちょっと面白そうだ。プロジェクトのサイトを見ると、震災復興の願いを込めた狼煙を上げるそうで、ことしは10月25日に行い、被災地に向けて150本の狼煙をリレーするのだという。
そこで思い出したのが、三条市の姫ノ城(ひめのじょう)だ。うろ覚えなので、ちょっと検索したら三市南蒲地域視聴覚教育協議会のサイトに資料を見つけた。それによると、姫ノ城は旧三条市と旧下田村、加茂市の境界の近くにあった山城で、「火見の城(ひみのじょう)」と書くともある。旧三条市では最も高い場所にあったと考えられているという。
名前からしても、ここは狼煙台に使われたのではないだろうか。10年以上前に姫ノ城の跡を訪ねた。保内小学校裏の林道を登ると、林道のすぐ脇の小高くなったところにある。そこには木々が視界を遮っているが、それ用に普請すれば、見晴らしが良さそうな場所だったように思う。
プロジェクト実行委員会の委員長には、長岡造形大学の豊口協理事長が就いている。狼煙を上げるのは民間のようだが、だれか検討してみてくれないかな、と他力本願(笑)。ちょっとロマンを感じられるのではないだろうか。三条城って手もあるかも…。
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五輪サッカー、野球の男子日本代表の悲愴感
北京五輪の男子サッカー、野球の日本代表の試合には、不思議と観戦しようという気持ちにならなかった。どの試合も腰を据えてみることはなく、見なかった試合の方がずっと多い。ちょっと見ていると気分が悪いというか、不愉快になってくる。なぜだろうと自問自答した。それは、日本代表に“みなぎる?”悲愴感というのが、結論だ。
ここで、漢字変換していて初めて気づいたことがある。「ひそう」を変換すると「悲愴」だけでなく、「悲壮」もあった。ベートーベンのピアノソナタは「悲愴」。変換辞書にある意味を見ると、「悲しい」というのは共通だが、「悲愴」は「悲しくも痛ましい」とあり、類語として「悲痛」や「悲傷」を充てる。対して「悲壮」は「悲しくも勇ましい」とある。ニュアンスは正反対に近い。「悲愴」では悲しみに打ちひしがれ、「悲壮」にはそこから立ち上がるという感じを受ける。
話を戻すと、五輪の男子サッカー、野球の日本代表からは、戦う前から「悲愴感」が漂っていた。サッカーは強豪国までオーバーエージ枠を使う時代になっているのに、日本はすったもんだの末、オーバーエージはなし。それでも予選突破に死角がないとでも思っていたのだろうか。野球では、金メダルでなければメダルはいらないとまで言い放った星野監督。
そこにあるのは「悲愴感」ばかりで、加えて良くも悪くも精神論好きの日本人が十八番にしていたはずのチームワーク、連帯感が希薄で、大ざっぱに言えば「やる気」が見えてこない。テレビ観戦していてもゲームが面白くないのだから仕方ない。
一方、女子サッカーとソフトボールの日本代表。こちらは最初からほとんどの試合をテレビ観戦した。単純に試合がおもしろかった。女子サッカーでは、悲願のメダルを目指し、なでしこジャパンは休むことなくピッチを駆け回った。ソフトボールは次回の五輪種目からはずされ、日本にとっては金メダル獲得のラストチャンスとなるの可能性が高いなか、上野投手の熱投が呼び込んだ悲願達成。いずれも悲愴感はなく、心身ともに充実した戦いぶりだった。
スポーツは、「結果がすべてではない」ということを教えてくれた。仮に女子サッカーが予選落ちしようとも、ソフトボールで決勝で敗れたとしても、健闘をたたえる気持ちに変わりはなかった。それに引き換え、男子は…。さぞや不完全燃焼で帰国したことだろう。
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2008年08月21日
三木市との交流の発想に見る“よそ者力”
国定勇人三条市長が、三条市と兵庫県三木市との交流を進めていることについて、先にこのブログで記事を書いた。さっそく三木市のrfuruya1さんのブログ「雑感日記」、国定市長のブログ「三条市長日記」に取りあげていただき、感謝している。
リアクションをもらえるのは、ブログのモチベーションになるが、何よりも本意をくみ取っていただけたのがありがたい。このブログは、思いつくがままに書き殴って?いる。三木市との交流について書いた記事は、両市の交流に否定的な内容と誤解されるのを心配したが、取り越し苦労だった。
想像だが、国定市長の胸のうちには、なんらかの三木市との交流、連携のイメージがあるのだろう。が、個人的には三条市と同じ金物の町くらいのイメージしかなく、具体的な交流のイメージをもてない。大半の市民も似たようなものだろう。
国定市長には、佐賀県武雄市との交流も念頭にあるようだが、まずは市民が互いの市の情報を共有することから始まることになるだろう。
以前から書いているが、内側からは決して出てこないであろう、こうした発想こそが、国定市長の面目躍如たるところ。プラスの意味で“よそ者力”を発揮してほしい。
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五輪ソフト日本代表金メダルの映画化決定だな
北京五輪ソフトボール、日本は念願の金メダルを獲得!。なんかもう、B級映画でも見ているかのようなできすぎのドラマ。西山選手の心臓病の克服だったり、監督との五輪出場の約束だったりで、いくつもの物語が折り重なり、そして最後は金メダルで物語は見事に完結。こりゃ、映画化決定だわ。
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メモリがスーパーのワゴンセールで売られる時代
近くのジャスコでUSBメモリやSDメモリがワゴンセールで売られていた。USBメモリ4GBで2,000円といった塩梅。かつて200MBにも届かないハードディスクに何万円もはたいていた時代が、昔、昔、あるところに…の感。時々、立ち止まるとあまりの時代の流れのはやさに面食らってしまう。
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2008年08月18日
「平野早矢香」と「ブルース・リー」
惜しくもメダルは獲得できなかったが、五輪で活躍した卓球女子の日本代表。テレビ観戦していて思ったのが、平野早矢香選手だ。これが性別を超えてブルース・リーに何とも似ている。
試合中の合間、相手をにらみつけたり、集中したりするときの所作が、そっくり。同じことを思った人が多いようで、ネットで「平野早矢香」と「ブルース・リー」のキーワードで検索すると、ぞろぞろと検索結果が出てきた。
困るのは、気になり始めると試合どころではなくなること。試合を見ながら、どこがブルース・リーに似て見えるんだろうと、ついつい分析に頭がいって、試合に集中できない(笑)。
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2008年08月16日
三条市 vs 三木市、三条市 and 三木市?
国定勇人三条市長は、地元の新潟県央工業高校の甲子園初戦を観戦した翌日、兵庫県三木市の三木JCで講演して以来、三木市との交流を推進している。どのように交流が深まっていくのか、とても興味深い。
三木市は三条市と同様、金物の町であることを知る三条市民は多いだろう。金物業界にいたことがないので客観的にはわからないが、三条市民にはライバル的な意識が強いのではないだろうか。どちらかといえばプラスよりマイナスのような気がする。
積極的なマイナスというよりは、どちらかというと知らんぷりをしているというか、向き合わないようにしているというか。一方で、事業所レベルでは三条市と三木市で関連があるのを知っている。ぜひ、三木市に対するイメージや感情を三条市の金物業界の人に聞いてみたい。
いずれにしろ、その三木市と交流しようとは、三条市民なら思いつかなかったではないだろうか。仮に思いついてもすぐに否定されそうな気がする。そんななかで国定市長が三木市と交流を進めようとしているところがおもしろい。地元からは出てこない発想で、今後の進展を見守りたい。
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2008年08月15日
「北京五輪」「CG」でアクセス急増
12日、13日と、このブログのアクセスが急増した。ふだんのざっと10倍と尋常ではない増え方だった。これは北京五輪の開会式について書いた記事「まるでCGのようだった北京五輪開会式」が検索にヒットしたためだろう。
CGのようと表現したのはマスゲームの部分。実際は巨人の足跡の花火の部分がCGだったわけだが、そのニュースが伝えられると「北京五輪」や「CG」をキーワードに検索した人が多かったのは想像に難くない。で、そのニュースのちょっと前にそのキーワードを含むブログを書いたものだから、検索にヒットしてこのブログに飛んで来た人が多かった、ということなのだろう。
記事の論旨は間違っていたが、まあ、ひょうたんから駒というか、けがの功名というか。もっともアクセスが増えても直接的には何の功名もないわけだが…。
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2008年08月14日
やっぱりCGが使われた五輪開会式
前々回の書き込みで、北京五輪開会式について「まるでCGを見ているかのよう」と書いたが、まさか本当にCGを使っていたとは(笑)。ただ、書き込みでCGのようだったと書いたのはマスゲームの部分のことで、巨人の足跡の花火の部分ではなかった。すっかりだまされた。
この部分、画質がほかの部分とかなり違うのには気がついた。しかし、これはヘリコプターでの撮影のためだろうと推測していた。ヘリコプターの揺れや振動をデジタル的に補正するために画像が荒れたんだろうと勝手に考えていた。それにしても、花火が上がるとぴったりシンクロさせ、画面いっぱいに花火が入るようにしながら飛ぶとは、すっげー、システムだと感心していたというのに…。
少女の歌の口パクにもだまされた。この部分、テレビを見ながら口パクを疑っていた。子どもの歌はリスクが大きい。あらかじめ録音した歌声を流しているのではないかと。じっくり観察していると、カメラが少女の後ろに回って背中を映し出した。少女の首の両側から背中に向かってコードが黒っぽいテーブルで体に張り付けられてるのがわかった。ここまでして服につけたピンマイクがダミーということはないだろうと確信したのに、ふたを開けてみればダミーだった…。それも本人にではなく、違う少女が後ろで歌っていたとは、想像もしなかった。
その後、プレス用に配布されたラジオの北京五輪ロゴをはがすと、小倉優子の写真が印刷されているという問題も。肖像権も何もあったもんじゃない。
それに先だって中国製冷凍ギョーザ問題が中国が日本政府に公開しないよう求めていたことが明らかになったばかり。五輪開催で世界の一等国を目指した中国。せっかく開会式で中国の実力に驚き、感心していたところなのに、次々とほころびが。買いかぶってしまったようだ。
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2008年08月13日
流れ星★☆★☆
12日深夜、流れ星を見た。1年余り前から深夜、健康づくりとダイエットにと数十分間、自転車で走るのを日課にしている。12日深夜は2つ、流れ星を見た。前日夜にも1つ。そして数日前にも1つ。最近、良く見るな〜と思ってネットで調べたら、やはりペルセウス座流星群の時期だった。とくに12日夜は極大だったようで、納得。
しかし、いずれも流れ星が見えている時間は0.1秒から0.2秒くらい。とても願いごとを3回も言えないし、あっと思う間に消えている。とても長いセンテンスの願いごとは言えない。メンドーなので、「金、金、金」にしとこうか。あっ、時期的にに金メダルのことではなく、あくまでも金(かね)のこと(笑)。
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2008年08月09日
まるでCGのようだった北京五輪開会式
北京五輪が始まった。開会式は中国の感覚では国際的に受け入れられるようなものがつくれるのだろうかと高をくくってテレビ中継を見ていたが、ぶっ飛んだ。釘付けだった。マスゲーム的なイベントは圧巻だった。マスゲームで真っ先に思い浮かぶのは北朝鮮だが、よくよく考えれば共産党だからというべきか、中国にとってもマスゲームはいわばお家芸的なもの。ああした巨大スタジアムでは、いかにマスゲームが映えるかを思い知らされた。過去に見たどの五輪開会式よりも圧巻だったように思う。
もちろん、開会式をプロデュースしたという中国の有名監督の力量もあるのだろう。日本でも恐らく真似できないだろうと思う部分も多かった。また、これも想像だが、衣装や舞台装置には大ざっぱなところが多かったのではないだろうか。日本ならディテールに魂が宿るとかで、見えないところまでこだわるが、あの大舞台ではディテールよりも全体が重要で、逆にディテールにこだわるとスケール感を失ってしまうように見えた。中国の大陸的な感性が見事に結実していた。
ただ、そのマスゲームを見ている自分の感覚が面白かった。「まるでCGを見ているかのよう」に感じた。映画の世界では、地平線にまで届くかのような膨大な数の軍勢などを見るのは当たり前だ。そうしたシーンにCGが映画に使われ始めたころ、「まるで本物のように、生きているかのようにリアル」などと感心し、黒澤明監督が今も生きていたらCGでどんな作品を作ったんだろうか、それともかたくなにCGを拒んだのだろうかと考えた。
そして、CGのすり込みで、いつのまにか映画でおびただしい数の人が現れれると、すぐにこれはCGであり、現実ではないと自然に認識するようになっている。ところが、北京五輪開会式で目に飛び込んできた映像は、まるでCGを実写化したかのようだった。それが「まるでCGのようだった」という、逆転した感覚があって、なんか変な感じだった。ついでに、中国でのマスゲームの映像に、真っ先に「兵馬俑坑」の映像が重なったが、皆さんはいかがでした?。
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2008年08月08日
理科系をもっと評価しようよ
「新潟県央工業高校に肩入れしてしまう」の続き。論理的に説明しろと言われると、そこまで考えていないのでわからないが、感覚的にモノづくりなくして日本の経済は成り立たないと考える。モノづくりは日本経済、産業の骨格なのではないかと。第三次産業からITや金融と、手触りのない産業が幅を利かせているが、それもモノづくりという骨格があればこそと思う。
米国はサブプライムローン問題がプライムローンまで広がりを見せ、内需が冷え込めばGMとフォードが傾き、気がつけば米国内から製造業が消えていた。経済が足元から崩れているように見えるが、そこで踏ん張りになるのは、やはり製造業なのではないか。
しかし、ここでひとつ心配がある。製造業の企業のトップの意識だ。戦後の日本を牽引してきた製造業のリーダーに共通するもの。松下幸之助や本田宗一郎の名を挙げるまでもなく、創業者のほとんどはゼロからモノづくりを始めた、いわばたたき上げだ。大企業となってからもモノづくりのスピリットを忘れなかった。
しかし今はどうだろう。大企業の経営者のほとんどは文化系だろう。経営のプロかもしれないが、そこにどれだけモノづくりのスピリットがあるのか、はなはだ疑問だ。振り返って見れば、モノづくりの町、三条市や燕市も似たようなもの。確かに創業者と比べれば学歴は上がっただろうか、どれだけモノづくりへの造詣や情熱があるのか。
ある携帯キャリアの社長だったかが、記者に携帯電話を使った決済サービスを利用しているかと問われ、「誰がそんなものを使うか」と言い放ったという話を読んだことがある。Apple社のCEO、スティーブ・ジョブズがiPodやiPhoneの開発から完成までかかわり、社員と一緒になって取り組み、完成した製品を愛用しているのとは正反対だ。
ここでようやく県央工業高校の話に戻るが、工業高校などで育んだモノづくりのスピリットを地場産業に生かしてほしいし、地元経営者もそのスピリットをくみ上げる環境をつくってほしいということ。甲子園で見せた“県央魂”を県央のモノづくりの現場でも見せてほしい。
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2008年08月06日
新潟県央工業高校に肩入れしてしまう
三条勢として悲願の甲子園初出場を果たした新潟県央工業高校野球部。同窓ではないが、ついつい肩入れしてしまう。ケンオー・ドットコムの記事「新潟県央工高で全国大会出場権をかけて平成18年度新潟県高等学校アイデアロボット三条大会-(2006.9.3)」や「県央工高の同じチームが3年連続でアイデアロボット競技大会の全国大会出場権を獲得-(2006.10.3)」、「県央工高で第6回高校生ものづくりコンテスト全国大会の建設系部門(橋梁模型制作)新潟県大会-(2006.8.10)」などからも感じとってもらえるかと思う。肩入れするのは「工業高校」だからだ。
大学は理科系だった。自堕落であるが故に中退するに至ったが、「魂は理科系」?という信念がある。常々、理科系は冷や飯を食らっているという不満やうっせきがある。文化系の管理職が偉く、理科系の現場を見下すとか、青色LEDの発見者にしてもそうだし、理科系が不当に虐げられている実例はいくらでも挙げられる。
そんななか、モノづくりに黙々と取り組む工業高校の生徒が、とにかくかっこ良く映り、手を差し延べてあげたいと思ってしまう。そんなんで、今回の「工業高校の甲子園出場」というのが、痛快だった。
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