コラム
どこからが、ねつ造?、やらせ?
東京での大学時代、サークル関係の友だちから1、2時間、座っているだけで数千円のバイトがあるのでやらないかと誘われた。内容を聞くと当時、流行した新宿のノーパン喫茶でテレビの取材があるので、客の“さくら”になってほしいと。その友だちは、いわゆる“組”の関係で、そのノーパン喫茶も組の息がかかった店ということで、大学内で“さくら”のバイトを探していたというわけだ。
おっと、若い人にはノーパン喫茶なんてわかるわけはない。一応、喫茶店の体裁だが、風俗店の類で、ウエイトレスが下着を着用せずにドリンクなどを運んでくる。ドリンク料金以外はとられないが、それが高額。そういや、大蔵省官僚のノーパンしゃぶしゃぶ接待なんてのも懐かしい(笑)。
話は戻って、もちろん、バイトを引き受けた。貧乏学生にとって、一度も行ったことのないノーパン喫茶にバイト代までもらって行けるのだから、どこに断る理由があるだろうか(笑)。
バイト当日、友だちと数人で店で待っていると、男性歌手のリポーターが登場。まずは、店内でカメラが待ち構えてリポーターが店の扉を開けるシーンを何度も繰り返し撮影した。もちろん、放送されるのはそのうちの1回。その店はウエイトレスによるプロレスのアトラクションがあって、“さくら”にはリングサイドで手を突きあげて「イエーッ!」などと騒いでくれなどと要求があり、もちろん要求に応えて演じた。ただ、もっと真面目にやれとか、しかられた記憶がある(笑)。
後日、大学の学食のテレビで友だちとゲラゲラ笑いながら放送を見た。ノーパン喫茶に行ったのは、後にも先にもこの日限り。一緒にバイトした友だちも同様だった。もっとも“本気”でノーパン喫茶に通うような人は、恥じらいがあってテレビ出演は拒否するんだろうから、“さくら”が必要なのはわかる。しかし“やらせ”と言われれば“やらせ”なのだろうが、どこまで許せて、どこから許せないのか、判断は難しい。
しかし、このバイトで学んだことは多い。リポート番組を見ていても、取材しているときの様子が目に浮かぶようになった。また、マスコミではノーパン喫茶の流行が大々的に報じられていたが、周囲でノーパン喫茶に行ったなどという話はほとんど聞かなかった。
ノーパン喫茶を体験して、高いカネを払ってまで利用する人の気持ちがまったくわかなかった。ノーパン喫茶が流行ったのは本当だろうが、それはあくまでも一握りの人たちの間でのこと。報道から受けるイメージは「猫も杓子も」だったが、一般社会とかけ離れた特殊な空間だった。
続く…(かも)
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投稿者 masatosato : 2007年02月23日 04:36 | コメント (0) | トラックバック (0)
ピンチはチャンス
デジタル一眼レフカメラのレンズが壊れた。外出時は必ずデジ一眼を持って出る。当然、落としたり、体重をかけたりはいつものこと。いくらカメラ用のウエストバッグに入れているとはいえ、壊れる可能性は極めて高い。
壊れたレンズは、カメラメーカー純正ではなく、いわゆるレンズメーカーの「シグマ」の高倍率ズームレンズ。オートフォーカスが途中でグキッという感じでひっかかり、ピントが合わない。手動でフォーカスしても近くにしかピントが合わず、完全に内部が壊れている。修理しなければ使えない状態だ。
フィルムカメラ時代から数えれば随分、長いこと一眼レフカメラを使っているが、レンズを修理に出したのは初めてかもれない。保証期間の1年を過ぎていたので、修理代は自腹。メールでメーカーに問い合わせると翌日には修理の手続きについて返信が届いた。
メールに故障の症状を書き、大ざっぱな修理費用を教えてもらえるよう頼んだところ、同様の修理で費用は7,000円から14,000円くらいとのこと。買い直せば4万円くらいするので、迷わず修理に出した。
1週間ほどでメーカーから電話があった。修理が完了し、修理代は6,000円弱。見積もりもより安く、電化製品の修理代などと比べてもかなり良心的な料金といえる。費用はあとで振り込んだりでもするのかなと思っていたが、代引きにするとのことで、なるほど、その手があったかと。納期も10日から2週間とのことだったが、それより速く手元に届いた。
修理費用の安さといい、速さ、電話での対応とすべて100点満点。申し訳ないが、メーカー純正でないレンズメーカーには多少の不安があったが、完全に払拭された。考えてみれば大きな企業ほど尊大な態度のことも多く、偏見をもっていたいことを反省させられた。
今回の経験から今度、レンズメーカーのレンズを買おうかどうか迷っている人がいたら、決してレンズメーカーに否定的な言い方はしないし、逆にレンズメーカーの方を勧めるかもしれない。修理はメーカーの業務全体からすれば小さなことだろうが、軽くみてはいけない。消費者を満足させる修理の体制や対応はエバンジェリスト(伝道師)を育て、企業の信用や信頼を着実に積み重ねてくれる。
今回の場合は、そもそもレンズメーカーに落ち度はなかったわけだが、仮に会社側に落ち度があった場合も同様だ。自分でも経験している。失敗をしても適切に対応すれば、信頼を失うより、逆に失敗を起こした以前より信頼を得ることの方が多い。わざと失敗してやろうかと思うほど(笑)。
昨今の相次ぐ企業の不祥事への対応を見ていると、このことがわかっていないように見える。もちろん、不祥事が会社の存続を危うくさせるほど大きなものであるがゆえに、つい、情報を隠したり、責任を回避したりする明らかに間違った方向へ進んでしまうのもわからなくもないが、前例を見ればマイナスに働くのは自明だ。
ありきたりだが、「ピンチはチャンス」だ。情報を開示し、非を認めて誠実に対応すれば、一時的に会社が危機的状況に陥るかもしれないが、必ず立ち直れると信じる。責任逃れという甘い罠に引っかからないよう願うばかりだ。
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投稿者 masatosato : 2007年02月21日 03:11 | コメント (0) | トラックバック (0)
“よそ者”三条市長に膨らむ期待
例えば「田舎は都会と違って…」などと、三条市の代名詞に“田舎”を使うと、ムッとされることが少なくない。不愉快に思う人の多くは、三条市内に生まれ育った人だ。都会に住む人がもつ“田舎”の語感とは少々、異なる。都会では、「都会と田舎」も「中央と地方」も大差ない。
“田舎”にはさげすむ否定的なニュアンスもあるにはあるが、半面で地方出身者に対して「田舎があってうらやましい」とプラスイメージもある。個人的には、馬鹿にする意味合いで“田舎”と言われれば確かにカチンとくるが、基本的には自分で自分の住む町を“田舎”と呼ぶことには、まったく抵抗がない。
時々、燕市より三条市の方が都会だとか、いや、それより新潟市が都会だと話しているのを聞くと噴きだしそうになる。そんなことは「目くそ鼻くそ…」で、新潟は全部ひっくるめて田舎だろうと。もっとも、新潟市は政令指定都市になるのだからちょっとは都会か。
“田舎度”という指標でもあれば、それを測る道具として、どれだけ“よそ者”を色眼鏡で見るかがあると考える。東京は“よそ者”で成り立っている。生まれも育ちも東京といっても、郊外を除いてそのほとんどは二代、三代とさかのぼれば地方出身者。社会的流動性が高い町である。
そこでは“よそ者”が多数派で、当たり前だが“よそ者”という言葉はめったに聞かない。“よそ者”なしで東京は成立せず、“よそ者”が東京のダイナミズム、活力を生み出しているといって過言ではない。
先の三条市長選では、その“よそ者”の国定市長が誕生した。選挙戦で国定市長を“よそ者”と批判する声が多く聞かれたが、それを聞いている方が恥ずかしくなった。理由は前述の通り。
政治は結果だ。“よそ者”かどうかはどうでもいいことで、三条市に貢献してくれるなら誰だっていい。個人的には国定市長が“よそ者”であることに逆に期待しているが、4日の定例会見でその期待を膨らませてくれる一端を垣間見ることができた。
定例会見の席上で報道関係者に対して報道資料を配付。さらに、その日のうちに報道資料をそっくり市のホームページに掲載した。いずれも前市長にはなかったことだ。報道資料の内容も詳しく、参考もていねいに記されていた。参考は報道関係者からの質問も想定したもので、国定市長が話し終わると報道関係者から質問は出なかったという。
おそらく国定市長は、それほど信念をもって報道資料を配付、掲載したわけではないだろう。国定市長にとっては特別なことではなく、当たり前のことに違いない。
なぜなら、国の省庁では報道発表は資料作成、即日ホームページ掲載がとっくに当たり前になっているからだ。総務省でそうした環境に身を置いた国定市長なら、当然のことと考えて実行したのだろう。
大したことではないと思われるかもしれないが、市長選の対立候補を含め、地元出身の市長が誕生していたら同じような行動をとったとはとても思えない。国定市長の総務省での経験もあるが、“よそ者”効果のひとつと言っていいのではないだろうか。
報道資料をホームページなどで公開することの意味を疑問視する人があるかもしれないが、この意味は大きい。ふだん、市民が接する行政の情報は報道関係者のフィルターを通した情報、メディアのバイアスもかかった加工された二次情報だ。しかし、ホームページで公開することで、市民は行政が発表したままの一次情報を確認でき、結果的に市民と行政の直接的なコミュニケーションにもつながる。
とはいえ、いいことづくめではない。逆に行政の情報操作に悪用されるおそれもあるが、それをチェックするのも市民の務めであり、それによって市民の行政に対する関心が高まる。民主主義の次のステージへ引き上げることにつなげられる。
市長や市会議員に任せておけば、まちが良くなるという、そんな虫がいい話はない。市民が積極的に行政、地域に関与して初めてまちづくりが進む。報道資料の作成、掲載もその一歩になることを願う。
気が早いが、次の市長はきっと地元出身者だろう。せっかく“よそ者”が市長になったのだから、三条市を外側からの視点で見つめ直して大なたをふるってほしい。外側からでなければ見えないことはたくさんあるはずだ。
国定市長は選挙戦で「さんじょうもん宣言!」とうたった。“よそ者”に距離を置く市民の支持を得るには、当然の戦略だったのはわかるが、“三条もん”、あるいは三条市の行政のメンタリティなり、論理に染まった国定市長にはあまり興味がわかない。
国定市長が「前例がないのでできない」、「いろいろとしがらみがあって…」とか言い始めたら魅力は半減(笑)。“よそ者”で何が悪い!くらいの意気込みで、偉大なる“よそ者”として三条市の歴史にその名を残してほしい。
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投稿者 masatosato : 2006年12月06日 02:43 | コメント (0) | トラックバック (0)
三条市長選が終わり、これから選挙戦の真価が問われる
国定、山井両氏の一騎打ちとなった三条市長選は、国定氏の勝利に終わった。予想通りの接戦で、激しい戦いだったが、それは高橋前市長の任期途中の突然の辞職に始まった。
高橋前市長は辞職の記者会見で、市長候補は「わたしの意中には具体的にあります」とし、意中の人が出馬すれば応援すると、事実上の後継指名を行う考えを示した。
この言葉からも、高橋前市長は辞職を発表する以前から国定氏と接触、市長選出馬を要請していたことがわかる。さらに高橋前市長は、後継指名どころか国定氏の後援会長に就任。これに市議会が反発し、県議選をねらう山井氏を担いだ。
議会軽視、さらに7・13水害での高橋前市長の対応などをめぐって高橋市政7年半を批判。「反高橋」を旗印に選挙戦を繰り広げた。一方の国定陣営は業界が強力なバックアップ。業界と議会が対立する構図になった。
山井陣営はネガティブキャンペーンを繰り返した。山井氏本人はともかく、応援弁士は山井氏をもち上げることよりも、国定陣営批判、それも国定氏というより高橋前市長に対する批判により多くの時間を割いた。それに同調した市民も多かった半面、最終的には自陣営に跳ね返ったような気がしてならない。
選挙のプロで固められた山井陣営に対し、国定陣営は素人集団の業界人。当初はおっとりムードで、及び腰に映る支持者もあったが、山井陣営のネガティブキャンペーンで火がついた。とくに若手を中心に一気に熱が上がり、団結した。山井陣営にとって高橋市政批判は、もろ刃の剣だったのではないか。
いずれにしろ、日本一若い市長が三条市で誕生したわけだが、まず第一の試練は、山井陣営が圧倒的多数を占める議会運営になるのは間違いない。
選挙戦で両候補とも主張してきたように、三条市の厳しい財政のなかで猶予はない。議会運営に無駄に時間を浪費すれば、それこそ市民にそっぽを向かれてしまう。
選挙戦でのしこりが簡単に解消するとは思えないが、選挙戦での訴えを実現するためにもスムーズな議会運営を念頭に置いてほしい。三条市、三条市民のために汗を流して働いてくれる市長なら、年齢も出身地も関係ないはずだ。
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投稿者 masatosato : 2006年11月13日 04:14 | コメント (0) | トラックバック (0)
高橋市政7年半の是非を問う三条市長選って、あり?
三条市長選告示が目前に迫っている。国定氏と山井氏の一騎打ちが濃厚だが、三条市の未来を託す市長の選択というよりは、高橋市政7年半の是非を問うという構図が前面に出て、まるでそれが争点のようになっている。
得てして本質とは異なる部分に焦点が当たり、立候補者が好むと好まざるとにかかわらず争点になってしまうのが選挙、と言ってしまえばそれまでだが、選挙の勝敗に一喜一憂するのは、その場限りのこと。しかし、その結果は市長の任期中、4年間続く。
昨秋の衆院選では、小泉前首相は郵政民営化を争点としたが、刺客を送り込まれた選挙区では、その非情ともいえる手法に対する是非が有権者の投票行動を大きく左右した。それが今度は復党だのなんだので泥仕合。衆院選での自民党の歴史的大勝は何だったんだろうという気になってくる。
先に行われた合併して初めての燕市の市長選では、旧燕市の職員の多くが旧燕市長の高橋氏に投票しなかったと聞いている。高橋氏に投票したのは職員のうち2、3割という観測もある。
ところが、今になって吉田地区が燕市の中心となりつつあることに危機感を募らせる旧燕市職員が少なからずいる。このコラムでも旧燕、吉田、分水の3市町合併は吉田地区中心のまちづくりを進めるということを意味すると重ねて書いてきた。現実はその通りに進んでいるだけのことで、そこで働く旧燕市職員は誰よりもそのことを承知していたはずだ。
旧燕市職員が、より燕地区を中心としたまちづくりを望むなら当然、好き嫌いにかかわらず旧燕市長の当選が最優先だったはずだが、そこが業とでもいうのだろうか。旧燕市長への反発心の火は簡単には消えず、感情が客観的な判断さえ狂わせる。
三条市長選に話を戻すと、そもそも高橋市政に対する是非が争点になった始まりは、任期途中の突然の辞職から後継者指名へと向かった高橋前市長の一連の行動にある。それに反発して市議らが山井氏を担いだことには大義があり、高橋前市長はそれを責める立場にない。
だからといって有権者が高橋市政に対する是非を投票行動に直結させるのは危険だ。すでに高橋前市長は退いた。高橋前市長が立候補するというなら高橋市政の是非を問うべきだが、新たな立候補者の選択を高橋市政の是非で判断するのは道理に合わない。
ジョン・レノンの「Imagine(イマジン)」ではないが、想像してほしい。今度の市長選の当選者の任期が満了する4年後は平成22年、2010年。団塊の世代の退職がピークを迎える「2010年問題」の年で、五十嵐川災害復旧助成事業もこの年に完了する。その4年間をそれぞれの立候補予定者が三条市政のかじを取っている姿を想像してほしい。
それには立候補予定者を本人を知らなければ始まらない。国定氏は地元出身でなく、知名度が低いとはいえ、山井氏にしても直接、会ったことのない市民が大半だ。幸い3日午後1時半から三条市厚生福祉会館で燕三条青年会議所が「まちづくりフォーラム・三条市公開討論会」を開き、両氏をパネリストにパネルディスカッションを行う。
もちろんここで両氏のすべてを知ることはできないが、人柄や市政に対する考えや意欲の一端でも垣間見えるはずで、3連休初日の日中という間の悪い日程だが、市長選の本質に立って三条市の未来を託す人物を自分の目で見極めたいものだ。
【関連リンク】
社団法人燕三条青年会議所トップページ<新潟県>
http://www.tsubamesanjo-jc.or.jp/2006/blog/
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投稿者 masatosato : 2006年11月01日 02:51 | コメント (1) | トラックバック (0)
「若さ」「よそ者」は三条市長としてマイナス?
三条市長選に名乗りをあげた国定勇人氏に対する批判的な声が「若さ」と「よそ者」の言葉に集約にされている。的を射た意見のように聞こえるが、それが正しい判断かどうかは、過去にさかのぼって逆説的に考えればわかりやすい。
20年余り前を振り返ってみてほしい。県央地域の玄関口となる三条・燕インタ、燕三条駅が相次いで完成。三条の商店街も休日にシャッター通りとなることはなく、今と比べればはるかに活気にあふれていた。
交通の大動脈が整備され、期待感が広がる一方で、将来に対する危機感も高まりつつあった。金物卸業界だっただろうか。中小零細企業に事業継続に関するアンケートをとるたび、現経営者の代で廃業するという回答が大半だった。複雑でコストがかかっていた流通の構造的問題もあるが、これまではアンケートの結果通りに淘汰が進んできた。
商店街の経営者も後継者がいないどころが、子どもには店を継がせたくないと考える人がほとんどだった。これもその通りに今日まで歩んできた。その間、市長を務めてきたのは「高齢?」な「地元出身」の市長である。三条に生まれ育ち、経験豊かな市長でも三条を低迷へと導く時代の潮流に逆らうことはできなかった。そう考えると、「若さ」も「よそ者」も国定氏への批判の言葉にはあたらないし、それを理由に批判する人たちは歴代市長の功績を高く評価しているのだろう。
若い、よそ者が三条市長に就いたことはないので、市民が不安に思うのは当然だが、今の高橋三条市長にしたところで元は経営者。助役や市議からの市長ならあるていど想像はできるが、いくら長い経営の経験があろうと、その手腕を市長としてどれだけ発揮できるか、力量にしてもまったくの未知数だったはずで、やってみなければわからないというのが正直なところだ。
一方、国定氏が三条市には「魅力」があり、「好き」と正面切って公言していることに、歯が浮くような違和感を感じた。三条市民の多くは、それなりに郷土愛はあるだろうが、いったいどれくらいの人が胸を張って三条市に魅力があり、好きだと言えるだろうか。そう言い切れない理由は、前段で書いた「古き良き時代」の三条を知っていて、それと比べてしまうからではないだろうか。
ごく一握りのいわば勝ち組を除いて市民も企業もすっかり疲弊した。産業界も中国特需で一息ついたとはいえ、さらにその先を見据えると明るさは見えてこない。それでも全国の平均的な市町村と比べれ、三条市は依然としてはるかにしっかりとした地場産業に恵まれているが、市民はどうしても「古き良き時代」と比べて今を嘆いてしまう。
国定氏は三条市の「古き良き時代」を知らない。昔と比べるから今の三条市に落胆するが、客観的に三条市を評価すれば、今も魅力的なまちのひとつであることに変わりないと、国定氏が教えてくれているようにも思う。三条市はいったん、産業構造を精算、リセットし、ゼロベースで再スタートする時期に来ているのかもしれない。
また、国定氏の後援会の役員には業界の重鎮が名を連ねる。その役員から見れば国定氏は子ども、下手すれば孫の世代。旧体制から新しい世代への禅譲とみれば、三条市政にとってのパラダイムシフトとなる可能性も秘めている。
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投稿者 masatosato : 2006年10月16日 01:49 | コメント (1) | トラックバック (0)
情報発信の難しさ、怖さ
ホームページにブログに掲示板。誰でも個人が手軽に情報発信できる時代。情報発信といえば簡単に聞こえるが、情報を発信する内容や主体によって当然、重みや影響力もまったく違ってくる。
一昨年の7・13水害では、堤防の決壊の報告を受け、すぐにでもケンオー・ドットコムで情報を発信したかったが、確認作業をしてからにした。「まさか」の気持ちがあったのと、万が一、誤報だったらと考えると、事の重大さを鑑みても絶対に間違いは許されない。
決壊の情報は、出動中の消防関係者などを通じて得たので、確度はかなり高かったが、それでも三条市の担当へ直接、連絡をとるなど確認作業を進めた。
そのため、決壊の情報を得てから発信に至るまで数分間遅れてしまったが、最低限の手順は踏むためであり、それによるタイムラグはやむを得ず、適切な対応だったと確信している。
4日昼に三条市の住宅に強盗が入り、逃走中との通報を三条市はホームページの「安全・安心情報」に掲載、同時にいっせいメール配信した。しかし、その後、事件性はないことがわかった。
三条市がどういう基準、どういうタイミングで安全・安心情報を出しているのか知らない。市教委ではそのつど、協議するということらしい。今回は警察から強盗の通報があった時点でメール配信したが、結果から見れば勇み足で、次からは警察による事件発生の有無を確認してから配信すればいいということになるが、話はそう単純ではない。
今回のように犯人が逃走中という場合はなおさら、警察が裏付けをとるのを待っていて、その間に犯人が二次的な犯行を重ね、せっかくのメール配信が意味をなさないということある。今回でも通報からメール配信までは1時間以上、たっている。逃走経路まで下調べした計画的な犯行なら、それでも間に合わないだろう。
どのタイミングが最善かは状況にもよるが、情報の確度と早さをどう折り合いをつけるかだ。行政の第一目的は住民の生命と財産を守るとことだ。市民の安全を守るために情報の信頼性にかかわらず、住民に危険が及ぶと推測される内容の通報に関しては確認がとれる前に情報発信するという基準でもいい。
逆に誤報が多くては「狼と少年」で、市民の情報に対する関心が低下するので、確認がとれるまでは情報を発信しないという判断もある。どっちにしろ、市民、行政の両方の立場から一長一短がある。
少なくとも三条市は、安全・安心情報の発信の基準を明確にし、情報を掲載しているホームページに基準を掲載すると同時に、その基準を市民に周知すべきだ。基準を定めるにもアンケートをとるなり、委員会をつくるなり、児童生徒の保護者など市民の考えも入れて検討したらいい。
いずれにしろ、今回の件でいちばん驚いたのは市教委だろう。問い合わせの電話の殺到は予想を超えていたに違いない。日常業務に差し支えるようでは、市教委、警察ともほかに重要な情報を見逃すことにもなりかねない。メール配信では、あわせて電話による問い合わせは控えるよう求め、代わりに随時、ホームページに最新情報を掲載すると案内するという手もある。もっとも、先の防災情報のようにホームページを見ようとしたらアクセスが集中してホームページが開かないということになれば、いっそう不安をあおりかねないので、システムの増強の必要もある。
10月には三条会場でも「地域ICT未来フェスタinにいがた」が開かれる。サッカー日本代表のオシム監督も敗戦から学ぶことを多いと語っている。今回を含め、先の防災情報などの事例は、まさに学ぶことが多く、これをICT未来フェスタで三条市が過去の事例として発表できれば、大した度量だが…。
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投稿者 masatosato : 2006年09月05日 03:51 | コメント (0) | トラックバック (0)
高橋三条市長の学校統廃合の取り組みに期待
30日の定例会見で高橋三条市長は、市内小中学校の統廃合に取り組む考えを示した。大賛成で、むしろ遅すぎたくらいだ。統廃合を一朝一夕に成し遂げられるとは思えず、高橋市長以前の市長が取り組んで良かった。
財政負担の軽減を図る意味から、ほとんどの市民は統廃合に賛成するだろう。しかし、具体的に学校名をあげて統廃合案を提示した途端、母校を失うことになる市民、子どもを今よりも遠い学校へ通わせなければならない保護者から反対論が噴出するはずだ。
もともと学校の少ない栄、下田地区ではなく、主に三条地区の小学校が統廃合の対象となるだろう。手元に旧三条市の児童生徒数の推移のデータがある。それによると、旧三条市の児童数のピークは1958年の10,232人。市教委のサイトにある今年度の児童生徒数の資料から三条地区の児童数をみると4,867人で、ピーク時の47.5%でしかない。ここ10年は1年に100人近いペースで減っている。
児童数が半分以下に減り、今後、急激な子どもの増加は見込めず、少子化による減少が確実なら、統廃合を進めるのは当然といえる。しかし、統廃合の反対が感情論に発展すると実現の道は険しい。
条南小が開校する1965年まで、ピーク時は児童数2,452人(1958年)を数える旧三条市でいちばんのマンモス校だった三条小。今年度は174人にまで減り、6学年すべてが1クラスとなっており、素人目にも統廃合の対象となる可能性は高い。
さらに、四日町小、条南小、南小の3校。各学校とも学年2クラスか3クラスだが、市内小学校の配置をみると目立って近接しており、2校への統合が考えられる。1学年1クラスを対象とするなら、旭小、大島小、須頃小が対象になる。
反論を恐れずにひとつのアイデアとして言えば、三条小を近隣の小学校と統合し、空いた土地の有効活用に期待している。市外からは入りにくい市街地にあるが、市民にとっては中心地で便利。ここに市民が活用する生涯学習センターを建設。近くには図書館、歴史民俗産業資料館があり、さらには三条鍛冶道場もできたので、三条市の文教地区として位置づけるというのが持論で、10年も前から関係者に提案している。
市民の財産を借りて展示するには防災面などで不安な歴史民俗産業資料館や、三南ライブラリーの併設、ついでに期待を込めて言えば小林敬一フィルムコレクションを上映する映画館の併設。移動天文車も常駐させて天体観測できる機会を増やすなど、考えればいろいろある。
話は脱線したが、いずれにしろ高橋市長は猫の首に鈴をつける役を買って出た。これから市民、統廃合となる学校の地域住民のコンセンサスをいかに得られるかが統廃合の成否の鍵を握っている。高橋市長の手腕に期待したい。
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投稿者 masatosato : 2006年08月31日 09:35 | コメント (0) | トラックバック (0)
Mac Pro導入記(1)Mac Pro導入を決めた理由
アップルコンピュータのデュアルコアInter Xeonプロセッサ2.66GHz2基を搭載したデスクトップマシン、Mac Proを買った。価格は32万円強とバカ高い。今の使用環境からすれば明らかにオーバースペックだが、後先考えずに「えいやっ!」と購入。と言ってもブラウザで購入決定ボタンをポチッと押すのに何度もためらった小心者だ(笑)。
旧マシンはPower Mac G4の1.25GHzのデュアルマシン。Mac Proの全身、G5マシンへの購入を考えていたが、光学ドライブのスロットが1基しかない、ハードディスクを2基しか搭載できないという理由が購入を踏みとどまらせた。また、すでにIntelプロセッサへの移行が発表されていたこともあり、昨年の買い換えをぐっとこらえた。
その問題をクリアしたのがMac Proだったが、価格がネックに。アップルは同様の仕様のデルのマシンより10万円くらい安いとアナウンスしていたが、デルでMac OS Xが走らないのでは比較も大した意味がない。しかし、アップルのその下のデスクトップマシンはMac mini。価格は10万円を大きく切るが、今度は拡張性が問題。マルチモニタで使っているが、Mac miniにはモニタが1基しかつなげない。ハードディスクも外部に増設の必要がある。スペック的には十分でも、これではメーンマシンにならない。
いずれ、アップルもこの2機種の間を埋める機種を発表するだろうが、全機種のIntelへの移行が終わり、ラインナップが完成したと言っているから、いつになるやら当てにならない。さらには大手パソコンショップ、ソフマップのポイントを10万円以上、持っていた。この世界、何があるかわからない(失礼)。ポイントが水の泡となってしまうのではという恐怖感もあり、早く使ってしまいたいという心理も。
さらには数百GBのデータを移動する問題もある。以前は内蔵ハードディスクを入れ替えれば良かったが、今回はハードディスクがIDEからSATAに変わる。プロセッサの違いでアプリケーションの挙動にも不安があり、長期休暇中でなければマシン移行は難しい。盆休みを逃すと次は年末年始休暇。運悪く(良く?)、そうした条件がそろって勢いに任せて買った。
残る問題は、盆休み前にマシンが届くかどうか。盆休み明けに届いたのでは、もくろみがガラガラと音を立てて崩れてしまう。もしかしたら、箱に入ったまま何か月も開封できないということも考えられる。発売直後のアップルの商品は長い入荷待ちになることも多く、これはもう運を天に任せるよりほかない。注文したのは8日深夜。翌9日夜には発送完了のメールが届き、さらに翌9日には無事、新しいマシンが届いた。
しかし、すぐにはマシンの移行に費やす時間がない。2、3日、玄関辺りに箱に入れたまま放っておいて、それからの作業となった。
※写真はMac Proの化粧箱。かなりデカい。
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投稿者 masatosato : 2006年08月16日 07:16 | コメント (0) | トラックバック (0)
三条夏まつりの市民民謡踊り流しに改善の余地
まつりは地元の住民のためのもの。あえてほかの町のまつりと比べる必要はない。とはいえ、「同じ阿呆なら踊らにゃ損」でもないが、どうせなら楽しいに越したことはない。
ことしの三条夏まつりは、3日間とも願ってもない好天で盛り上がった。一方でまつりの計画段階では三条商工会議所が夏まつりから距離を置く、さらには夏まつりの中止を含めて検討するといったニュアンスの報道に動揺が広がったが、内容の見直しはあっていい。
市民民謡踊り流しは、以前からもう少しなんとかならいのだろうかと思っている。踊り手に笑顔がほとんどない。一部の踊り好きを除いては、粛々と踊っているという印象だ。企業の動員が多いのがいちばんの理由だろう。その証拠に、企業単位の参加は前半の『三条音頭』でお役御免となるところが多く、後半の『三条おけさ』の方が明らかに雰囲気がいい。
三条市民にとっては当たり前の静かな民謡踊りの風景かもしれないが、これが燕市の飛燕夏まつりとなると正反対。初めて見る人には異常とも映るほど、盛り上がる。この原動力は、町内単位の参加が主体であることだろう。『燕ばやし』にあわせて叫ぶようにそれぞれの町名を発声することもあり、町内対抗の様相。ほかの町内に負けまいと声を張り上げるうちに、ヒートアップする。
吉田まつりのよさこいソーランも圧巻。野外コンサート並みの音響と設備で、会場は中心商店街から離れているが見物客は多く、目抜き通りにこだわる必要がないことを教えてくれる。神社のまつりにあわせた分水まつりは露店がずらりと並んでいるのが子どもたちにはうれしい。ほかの夏まつりより浴衣率が高く、雰囲気はいちばんだ。
三条夏まつりの関係者は、ほかの夏まつりを見る機会はあまりないだろう。夏まつりの在り方を考える前に、まずはほかの夏まつりを視察してはどうだろう。よそのまつりを真似するのは三条市のプライドが許さないかもしれないが、高橋三条市長も話していたように、よさこいソーランはここ数年であっという間に夏まつりの行事に代名詞のひとつになった。
いずれにしろ、ほとんどの町にとって夏まつりは、人と金の面で1年で最大の行事。それが少しでも有効に生かされ、市民が楽しめる行事になることを願う。
p.s. ごく個人的な意見では、花火は長岡まつりより先にならないだろうか。長岡の花火を見たあとの三条の花火はあまりにしょぼい…。それと夜店市は夏まつりと切り離してもいいような気が。夜店市単独の行事として十分に楽しめると思うし、夏まつりでそがれるエネルギーを夜店市に注力すれば、さらに盛り上がるかも?。
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投稿者 masatosato : 2006年08月09日 05:22 | コメント (0) | トラックバック (0)
7・13水害から2年たって(3)防災を意識を高めるには
前回のコラムで7・13水害で市民の防災意識が低かったことにふれた。で、今回はどうやったら防災意識を高めていくことができるか、手段の問題を考えてみる。
地域で防災組織を強化し、定期的に防災訓練に取り組むというのは当然、考えられる。おまけに地域コミュニティーの活性化につながる可能性もあり、進めてゆくべきことだろう。
しかし、現実的には核家族化が進み、近所付き合いが薄れるなか、地域の力に期待を寄せるのは無理がある。負担も大きく、かえって敬遠されたり、反発を買ったりと逆効果にもなりかねない。そこで提案したいのが、長岡市、旧中之島地区のような7・13水害の日の行事だ。
旧中之島地区には、昨年に続いて7月13日にあわせて犠牲者のめい福を祈る献花台が設置された。さらに、長岡市内全域で正午ちょうどに防災用のサイレンを鳴らし、全市民で黙とうをささげるよう求めた。
一方、三条市は7・13水害で堤防決壊を確認した午後1時15分に黙とうした。時間的にも昼休み明けの半端な時間。サイレンも鳴らさなかったので、一般市民はどういうきっかけで黙とうしていいか、わからなかったはずだ。
当日、サイレンを鳴らして黙とうしたり、献花台を設置したりするくらい、大した手間や経費がかかるわけではない。しかし、そうしたことを続けることで、今の親が年寄りになり、子どもがおとなになっても“その日”に何か行動することで「そういえば昔の7・13水害は…」と子や孫へ語り伝えるきっかけになる。
イベント形式でもいい。昨年、長岡市は新潟県中越地震の震災1周年祈念イベントを大々的に行っている。合同追悼式、復興の集い、復興祈念フォーラム、歩行者天国と盛りだくさんだった。犠牲者の追悼の意味と同時に、各地から寄せられた大きな支援に感謝し、そのおかげで復興できたことをアピールする意味合いもある。
また、燕市分水地区では明治29年の「横田切れ」から100年を記念し、平成8年に破堤地点にその名を冠した「横田切れ公園」を整備している。場所は忘れたが以前、テレビ番組で遠い昔に津波に遭った町で、今もその史実にちなんだ祭りが行われているのを紹介していた。
そうした後世に災害の記憶を伝え、教訓にしようという取り組みと比べると、三条市のそれはあまりにも寂しい。それどころか、早く7・13水害を忘れよう、思いださないようにしようとしているように映るのは気のせいだろうか。
ただ、ことしはどうかわからないが、一昨年、昨年と三条商工会議所青年部が復興の姿をアピールしようと三条熾盛祭(しせいさい)を開いたのはせめてもの救い…。
p.s. 三条市は、避難勧告を知った市民のうち、実際に避難行動を起こした人は何割くらいいたか、まとめてましたっけ?。多分、あると思うのでぜひ、教えてくださいませ。見逃してからすみません。
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投稿者 masatosato : 2006年07月28日 10:57 | コメント (0) | トラックバック (0)
7・13水害から2年たって(2)低かった市民の防災意識や危機意識
7・13水害では、三条市の避難勧告を出すタイミングや大雨で広報車の音が聞こえなかったという問題をマスコミは盛んに取りあげたが、それは大した問題ではなかったと思う。それ以前に市民の防災に対する意識の低さが問題だった。
堤防決壊を報じてすぐ、嵐南地区に住む知り合いに電話し、状況を確認するとともに避難を勧めた。しかし、知り合いからの答えは、家の前に水は来ていないから大丈夫ということだった。電話を切ってから数十分後に、その知り合いの家は1階の天井まで届くほどの水につかり、知り合いは水没した町に取り残された。
住民に町が水没するイメージがなかった。堤防決壊でもせいぜい床下浸水くらいに思っていた人が大半だろう。その原因のひとつに、小さな水害に慣れっこになっていた事実がある。
そもそも、江戸時代ころの四日町など嵐南地区は湿地帯であり、遊水地としての機能を果たしていた。そこに人が住むようになったわけで、堤防が切れなくても大雨が降るたびに道路が冠水、床下浸水が発生するのは当然だ。いざ、堤防が決壊しても、その延長くらいに考えてしまったのもやむ得ない面がある。
しかし、はた目にはかなり異常な状態だった。燕市に生まれたが、今でこそ開発が進んだ燕三条駅周辺で冠水などが発生するが、それまでは燕市内で大雨による被害はほとんど聞いたことがなかった。
一方、三条市では大雨のたびに屋根の上を流れる五十嵐川に恐怖を感じた。五十嵐川の水位が上がると、中新や諏訪には堤防下に水の通り道があり、川の水圧が上がると、決まってそこから水が噴き出したが、市民は意外なほど冷静だった。
頻繁に大雨被害を受け、堤防決壊の危険にさらされている嵐南地区(嵐北地区も似たようなもの)の住宅地は、商品でいえば品質の低い土地だ。ところが、地価は燕市内の住宅地より5割は高いのではないだろうか。そのことをたびたび三条市民にただしたが、聞く耳をもつ人はなく、逆に「何を言い出すんだ」と変人扱いされることも。
もちろん、地価は需要と供給によって決まるわけだが、そこには水害に対するリスクが計算に入っていなかったのではないだろうか。7・13水害以降、三条市民は大雨に対して過敏なほど神経質になっているが、今の方が正常な防災意識が働いているといえる。
今のような防災意識があれば、仮に再び堤防が切れるようなことがあっても、住民は自主的にでも速やかに避難し、死者が出るような最悪の事態は免れるだろう。しかし、この意識をいつまで持ち続けられるかだ。大雨のたびに三条市が警戒体制をとっても、10年、20年と大事に至らなければ、いつかは『狼と少年』となり、再び大雨が降っても「またか」となる。
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投稿者 masatosato : 2006年07月21日 05:21 | コメント (2) | トラックバック (0)
7・13水害から2年たって(1)退職した市職員の知恵の活用
「7・13水害から間もなく2年」のテーマでこの連載を始めたが、書き尽くさないうちに2年が過ぎてしまったので、「7・13水害から“2年たって”」に変えて仕切り直し。
7・13水害の夜、ちょうど日付が変わったころに市役所へ向かった。災害対策本部の様子は、のちに“未曾有の”と枕ことばがつくようになった大災害の割には、異様な静けさだった。幹部職員がずらりと顔をそろえていたものの、何も打つ手がなく、いすに座り、腕組みして神妙な表情。仕事といえば、時々かかってくる電話に対応するくらいだった。
仕事がなければ仮眠をとるなり、家に帰って寝るなりして、翌日のために英気を養う方が得策と思うが、大災害を前にしては、それができなかった気持ちはわかる。また、「船頭多くして船山に上る」も困るが、対策本部は逆に船頭のなり手がいないといった印象だった。
「天災は忘れた頃にやってくる」ではないが、タイミングも悪かったように思う。7・13水害とは比べものにならないが、昭和38年の三八豪雪、続く39年の新潟地震。さらに36年には御蔵橋、新大橋、渡瀬橋が流失、数カ所で堤防が決壊した8・5集中豪雨、39年には五十嵐川が氾濫した7・7水害。昭和30年代半ばから後半にかけて集中した大災害以降、7・13水害まで三条市は大きな災害を免れていた。
大災害の空白期間を数えると40年余り。これが意味するのは、当時、大災害に直面し、対応にあたった職員のほとんどがすでに退職していたということ。もし、7・13水害が10年も前に発生していたら、三条市の対応は違っていたのではないかと思えてならない。
避難所に支援物資を運び込んだら支援物資を仕分けするスペースがなくなり、配ろうにも配れなくなるということは、大災害を経験した人なら容易に推測できたのではないか。横の連携がとれず、現場で職員が正反対の行動をとっていることもたびたびあった。細かなことをあげればきりがない。
提案したいのが退職者の知恵であり、経験の活用だ。退職者辞令交付式で歴代市長は必ず、市職員で培った経験を今後も市政に生かしてほしいといった内容のあいさつを話している。7・13水害のようなときこそ、退職者の知恵を借りるときではないか。
長寿社会で70歳では現役と大差なく、80歳を過ぎても元気な人は多い。何もせずに対応を考えている時間があったらまず、消防関係を中心に過去の大災害を経験した退職者を対策本部に招き、教えを請うべきだったのではないだろうか。
ただ、7・13水害の対応を問題視しているのではない。例えば10年後に三条市が再び大災害に見舞われれば、7・13水害を体験した職員は今回よりもはるかに迅速、的確に対応できるだろう。しかし、40年後、50年後に大災害に見舞われたらどうだろう。今回と同じようになりはしないだろうか。
河川改修をしたところで、やはり設計で想定した以上の雨が降れば川はあふれ、決壊することもあり、絶対安全はない。そうである以上、7・13水害の記憶をしっかり頭に刻み込み、教訓にして子へ、孫へと伝え、市民の間に防災意識をしっかりと定着させることが、次の大災害への備えとして極めて重要な意味をもつ。
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投稿者 masatosato : 2006年07月15日 04:09 | コメント (0) | トラックバック (0)
7・13水害から間もなく2年(3)三条の情報提供に残る問題
7・13水害でのケンオー・ドットコムの対応について、メディアから取材依頼、行政などから照会や講演依頼がかなりあった。今も災害や情報の関連の会議に出席を求められることがある。ちなみに三条市からは何もない。
外部から寄せられる関心は、情報の収集から発信までのシステム、ワークフローに関するものが中心たが、iモードによる情報発信に対する関心も高かった。
7・13水害では電気がストップした。テレビもラジオは使えないし、電池切れしていないラジオがあったとしても、ごくわずかだろう。しかし、携帯電話はほとんどの人が持っている。電話は持っていても回線がパンク状態だったが、そのときでもインターネットはふだんとほとんど変わらずに利用できた。
ケンオー・ドットコムは一部、サーバが頻繁にダウンしたものの、情報提供を続けることができた。水害が一段落すると、被災した市民や遠方に住む被災者の親類からたくさんのお礼のメールをもらった。もっと情報を掲載してほしいとお叱りのメールもあった。言い訳になるが、最初の3日間はほぼ不眠不休。時々、1時間くらいの仮眠をとるだけで、精いっぱいだった。
水没した被災地に取り残された市民からは、電気のない真っ暗闇のなかでケンオー・ドットコムの掲示板に励まされたというメールがあった。遠方に住む人からは直接、メールで家族や知り合いが住む地域の様子を教えてほしいというメールも多く、できる限り状況を確認し、返信した。
報道は二の次、三の次で、有益な情報を提供しようと注力した。それでもあふれるように次から次へと届く情報をすべて発信できず、優先順位をつけて優先順位の低い情報を切り捨てざるを得なかったのも悔いが残る。
一方、三条市の情報提供には不満だった。市の避難勧告の発令の問題をメディアが大きく取りあげたが、ケンオー・ドットコムではほとんど扱わなかった。今まさに被災している市民がいるときに、問題を指摘する時間があったら情報提供に振り向けたのは当時、ケンオー・ドットコムを見ていた人ならわかってもらえるだろう。
そのため、小まめに市役所へ足を運んだが、途中から取材対応の窓口が一本化され、現場の職員が対応してくれなくなった。大半の職員からは「上から止められているもので…」と取材を拒否したがが、なかには「まったく、上は何を言ってるんだか」と、取材に応じてくれる職員もいた。
当時、市役所は災害対応に手一杯で、取材対応にかきまわされ、余計な時間をとられたり、混乱させられたりしたくないという気持ちは十分にわかる。しかし、災害時に正確な情報を速やかに提供することも行政の重要な仕事だ。
市職員の取材対応が内部で大きく問題視されたことも承知している。しかし、市職員といえば、地元では高給取りのエリートだ。問題が起きたらあらためて、取材があったらその内容が上に報告が必要な情報かどうかを正しく判断するよう職員に徹底すればいいだけのことだ。
それも信用できないようでは、そもそも組織として満足に機能しない。災害時のように次々と不測の事態が起こり、臨機応変に柔軟な対応が求められるときは、なおさらだ。
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投稿者 masatosato : 2006年07月07日 06:52 | コメント (0) | トラックバック (0)
7・13水害から間もなく2年(2)三条のHPの情報提供に残る問題
今さらだが、7・13水害のときを思いだしてみよう。ちょっと専門的な話になるが、三条市のウェブサーバーにアクセスが殺到して、「新着情報」の部分は今回と同じように動かなくなった。7・13水害ではその後もしばらく強い雨が降ってアクセスが殺到したため、三条市はそのたびに「新着情報」の部分をデータベースから静的なHTMLに差し替えることで対応してしのいだ。
当時、ケンオー・ドットコムも似たような状況だった。当時のケンオー・ドットコムのデータベースは、三条市以上に能力が低く、大きな災害が発生したら機能しなくなるとわかっていた。何とかしなければと思いながら手を打つ前に7・13水害が発生。案の定、データベースはダウンを繰り返した。
これに懲りて7・13水害後、真っ先に手をつけたのが、データベース部分の改善だった。データベースをあきらめ、データベースはバックエンドで動かして静的なHTMLを吐き出す形にした。昨年8月にも三条市は大雨で第2次配備体制をとったが、おかげでケンオー・ドットコムのサーバーに目立った速度低下はみられず、今回も何の問題もなく情報を提供し続けることができた。
今回、三条市がホームページを静的なHTMLに差し替えなかった理由は謎だ。第1次配備くらいでHTMLで積極的に情報提供をする必要はないという判断かもしれないが、現実に市民のアクセスが殺到した以上、行政としてはそれに応える対応をすべきである。
三条市は、今回の大雨の1週間足らず前の25日に水害対応防災訓練を行っている。訓練のなかでホームページの更新もあり、更新作業がうまくいったとの評価だった。
しかし、それはコンサート会場の警備を訓練するのに、観客を入れないで訓練し、これで本番も大丈夫と安心しているようなもの。今回のケースでいえば、別に訓練としてやらなくても、事前に業者に依頼してサーバーに負荷をかけるテストもできたはずだ。災害が発生したときはちゃんとサーバーが動くかどうかは、神のみぞ知る、ではたまったものではない。
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投稿者 masatosato : 2006年07月05日 08:26 | コメント (0) | トラックバック (0)
7・13水害から間もなく2年(1)三条のHPの情報提供に残る問題
30日夜の大雨で三条市のホームページを稼働するサーバーはお粗末だった。回線が細いのか、それともサーバーの能力が足りないのだろうか。ホームページの閲覧がスローダウンした。トップページに「新着情報」という部分がある。ここはデータベースで動かしているのだろうが、ピーク時にブラウザがタイムアウトしてしまうほど遅く、ダウンしたも同然の状態だった。
ケンオー・ドットコムのサーバーでは、今回の大雨でそうした問題を確認していない。アクセスのピーク時は午後23時の1時間で、1万ページビューを超えた。もっとも、このページビューはすべてのページをカウントしていないうえ、携帯版サイトはまったくカウントしていないので、それらも含めると1時間に1万5000ページビューくらいあったと推測できる。
ケンオー・ドットコムで使っているサーバーは、個人でも借りられるていどの料金の共用レンタルサーバー。1台のマシンを複数のサイトで兼用している。三条市のホームページにどれくらいのアクセスがあったか知らないが、カウンターを見る限り、ふだんのアクセスはケンオー・ドットコムの半分くらいで、今回の大雨でもケンオー・ドットコムより多かったとは思えないし、仮に多くても大差ないレベルだろう。
そうした比較をする以前に、災害の危険性が高まったときに市民が情報を求める早くて手軽な、有効な手段であるホームページが現実に思うように機能しなかったのは問題だ。
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投稿者 masatosato : 2006年07月03日 05:01 | コメント (0) | トラックバック (0)
痛いところを突かれる前に先手必勝が吉!
貧乏だった大学時代、遊ぶためにまず第一に節約するのは食費だった。おかげで身長170センチちょい、体重50キロちょいで、欠食児童?か栄養失調のようなやせ方だった。ジーンズは26インチがジャストサイズで手に入りにくく、ボーイズサイズでちょうど良かった。
社会人となってからというもの、見事に毎年1キロずつ増えつづけた。気がつけばご想像の通り。さすがにデブと呼ばれるのは抵抗がある。ベルトの穴が端点に最も近い最後の1個まで到達したところで自分なりにダイエットし、2個ほど戻し、ここ数年は現状維持だ。
年に1キロ増量だと、頻繁に会う人は昔の姿をあえて思い出そうとしない限り、それが話題になることはめったにないが、十数年ぶりに再会した大学の友人とは、しばらくその話が続いて正直、うざったかった。
最近も久しぶりに再会した人がある。「お久しぶりです」のあいさつのあと、すかさずこっちから「こんなに太っちゃってね〜」。体重増を話題にされるのがめんどいから、機先を制して先に話題に出し、早く次の話題に振り向ける。
体型の変化をさほど気にしているわけではないし、時間があればじっくりと太った経緯の説明なり、弁明なりをする心の準備はいつでもある。「太ったね〜」だけで終わるのは、どうにも納得できない。と、考えていることこそが、恥じている証拠とうすうす、気づいているんだけど(笑)。
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投稿者 masatosato : 2006年06月28日 04:17 | コメント (0) | トラックバック (0)
いくつになっても恩師は恩師
先に落慶法要を行った燕市熊森・勝円寺の住職、上山孝輝先生(今も気持ちでは先生)は元小学校教諭。燕南小学校時代の恩師だ。5、6年生のとき、担任ではなかったが、同じ学年の別のクラスの担任だった。
以前、上山先生が三条市内の小学校に勤務していたころ、仕事の関係で何度かお目にかかったが、昨年、寺の移転、新築の関係で久しぶりに会い、そこで初めて住職だったことを知った。元は旧分水町の役場職員で、教員のなり手を探していたときに打診され、気が進まなかったものの引き受けたというエピソードも聞いた。
上山先生は児童会も担当していた。6年生のときに児童会役員になったため、担任ではない上山先生と接する機会が多かった。当時の上山先生は、どちらかといえばピリピリしていた印象だが、友だちに言わせれば「あんたがベルマークを数えないから、あたしが代表して怒られた」とのこと。どうやら非はこちらにあったらしい(笑)。
法要に伺ったときに時間があったので、檀家の人からいろいろな話を聞いた。そのなかで驚いたのが、上山先生は寺の新築費用の寄付を檀家に求めなかったということ。後日、上山先生に合ったときにその話を出すと、上山先生は「夫婦で教員だったから、退職金で何とか…」。
寄付を求めるのが悪いわけではないし、むしろ当然。寄付をあてにする必要がなかった上山先生は恵まれていたのかもしれないが、それにしても退職金を充てるからと寄付を求めないということはなかなかできないこと。
いくつになっても恩師は恩師。いい年になってまだまだ、恩師に教えられるという立場のままだ。
ところで、当時の上山先生のクラスが同級会を計画、同級生同士、所在を確認しているとのこと。同級の人はぜひ、連絡をとりあってほしい。
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投稿者 masatosato : 2006年06月23日 06:01 | コメント (0) | トラックバック (0)
ワールドカップ、アルゼンチン爆発万歳!
ワールドカップの予選リーグF組、日本対クロアチアは0-0、ブラジル対オーストラリアは2-0。その結果ブラジルの勝ち点6をトップにオーストラリア3、クロアチアと日本がそれぞれ1の順となり、日本の決勝トーナメント進出の可能性は限りなく0に近づいた。
戦前の評論家の予想は、日本の最下位でほぼ一致していただけに、悲観するほどのことでもないが、そうとわかっていても落胆してしまうのも事実。もっとも日本がどうなろうとワールドカップが終わるわけではない。強豪国は、前回の日韓ワールドカップと比べればはるかに順調に勝ち点を重ねていて、海外サッカーファンにはこれからも見どころが満載だ。
そのひとつが、ケンペス時代から愛してやまない我がアルゼンチン。予選リーグ2試合目のセルビア・モンテネグロ戦では、見事なゴールを連発してくれた。
予選リーグは無理と思っていたメッシ(バルセロナ)が後半に出場し、1アシスト、1ゴール。テベスもゴールを決め、アルゼンチンファンには鳥肌モノの見事なゲームを披露してくれた。
アルゼンチンはW杯の南米予選でブラジルを下し、ブラジルに先んじてW杯出場を決めたにもかかわらず、W杯優勝国予想で出るのは、ブラジルの名前ばかり。アルゼンチンの名前がちっとも取りあげられないことにいら立っていたアルゼンチンファンには、してやったりの快勝だ。
アルゼンチンの伝統は、テクニックと狡猾さを兼ね備えいてることだが、以前と比べれば荒々しさは減り、洗練されてきてはいる。昔のアルゼンチンを知るファンには、現チームの司令塔、リケルメの妙なきまじめさが少々、物足りない。
かつてのスーパースターたちは、W杯ではビシッとスーツを着て貴賓席で難しい顔をしているのに対し、アルゼンチンの、世界のスーパースター、マラドーナは、アルゼンチンのユニホームを着て、一般のファンと変わらない騒ぎっぷりでアルゼンチンに声援を送っていた。
この能天気さが良くも悪くもアルゼンチンファンの描くアルゼンチンサッカーのメンタリティを体現している。選手時代も、引退後もマラドーナはアルゼンチンサッカーのシンボルだ。
マラドーナは別格としても、メッシをはじめ今のアルゼンチンチームが織りなすフォーメーションを超えた有機的なサッカーは、かつての輝きを取り戻しつつある。
前回の日韓W杯でアルゼンチンは、屈辱の予選リーグ敗退。その時点でW杯に対する興味は半減してしまったが、今回は早々に決勝トーナメント進出が決定。アルゼンチンの大爆発に期待したい。
p.s. 韓国は第2試合、フランスと引き分け、決勝トーナメント進出に大きく前進…。
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投稿者 masatosato : 2006年06月19日 06:00 | コメント (0) | トラックバック (0)
サッカー専門新聞「エルゴラ」の心意気
サッカー専門新聞「エルゴラ」(正しくは“ELGOLAZO”)をご存じだろうか。コンビニでも販売しているので、見かけた人も少なくないだろう。紙面の地色がピンク色でひときわ目立つ。5月下旬、スカパー!の番組に同紙を発行する会社の社長が出演していて、初めて同紙の存在を知り、迷わず宅配購読を申し込んだ。
番組によると、学生時代のサッカーサークルのメンバーが、友人などから2000万円をかき集めて起業し、1年半前からエルゴラを週3回、発行している。しかもワールドカップ開催期間中は毎日発行し、それも早刷りと遅刷りの2版体制で総力取材とのこと。この心意気に感動した。
あらゆる情報がネット上を飛び交い、紙のメディアの衰退が危惧される時代に、素人が起業して新聞を創刊というのだから、ふつうに考えれば無謀な挑戦だ。それを実現したのだから、恐れいる。
素人集団ゆえ、ネット上でもあちこちでちゃかされているように、確かに文章は下手だ(笑)。だから、それがどうした、だ。制作にかかわっているスタッフの熱い思いが、言葉にならなかろうが、空回りしようが、紙面からにじみ出している。それだけで十分、購読の価値はある。
一部130円、月額1,500円で読売新聞の販売店で扱っている。今から宅配を申し込めば、日本対クロアチア戦には間に合うが、県内で宅配可能なのは新潟、長岡、三条の3市だけ。郵送サービスもある。さあ、みんなでエルゴラの心意気を共有しよう!。
EL GOLAZO - エル・ゴラッソ
http://sports.biglobe.ne.jp/golazo/
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投稿者 masatosato : 2006年06月07日 05:00 | コメント (0) | トラックバック (0)
テレビにサッカーを文化に育てる役割が担えるか
サッカーW杯前の日本対ドイツ戦。2-2の結果は日本にとって快勝ならぬ「快」引き分けだった。FW高原の2ゴールは、決定力不足が続く日本代表に光明をもたらし、単純に気持ちよかった。
メディアはこぞって日本代表の攻撃力を称賛し、2点を先制しながらセットプレーから2点を奪われた守備力を指摘したが、それだけ。まるでW杯で勝ち点1をゲットしたかのようなはしゃぎぶりだったが、ちょっとおかしい。
ジーコ監督も戦前のインタビューで話していたように、このゲームでは勝敗は問題ではなかった。親善試合であり、調整のための試合。それを踏まえれば、ニュースとしてはゲームの内容にこそ最大の関心を寄せなければならないが、地上波のテレビのニュースはひどかった。
高原の活躍を報じるのはいいが、選手一人ひとりを評価し、だれに問題があったのかということも同じレベルで分析する必要があったはずだが、ニュースは2失点の守備のミスを指摘するのがせいぜい。それ以上の突っ込んだ内容は皆無に等しかった。
たまたま読んだスポーツ紙は、選手全員を採点して一覧表にしていた。そこではDF宮本を最低点にしていたが、個人的にも宮本に問題が多かったと感じたゲームで、うなづける記事だった。どうも地上波は悪者をつくるのをタブーとしているらしい。これでは国内一流の選手を相手に「みんな頑張ったんだから」と甘やかしているような、子ども扱いしているような気がしてならない。
試合の中継録画もひどかった。なかでもアナウンサーだ。20年くらい前、W杯の放送は主にNHKだった。日本は出場していない時代。レギュラー選手の名前を覚えるにも、2チームで22人を覚えなければならないが、担当のアナウンサーは、強豪国の対戦でもないのに、観ている方が関心するほど選手の名前をしっかり頭にたたき込み、パス回しでボールを受けた選手の名前を次々と言っていた。
それに引き換え、今回の対ドイツ戦。日本選手の名前はわかっているから、覚えなければならないのは、ドイツの先発メンバーとしても11人だけ。ところが、アナウンサーから出てくる名前は、そのうち数人だけ。今回に限らず、このアナウンサーは日本の対戦国の選手の名前を覚える気が毛頭ないらしく、いつもイライラさせられる。先発メンバーの名前を覚えなくても平均年収1,500万円とされる民放局でアナウンサーが務まるのだから、うらやましい。
解説者も感情的な表現が多く、技術や戦術に関する話が元サッカー選手にしては異常に少なく、解説者としての役割を果たしているとは思えない。アナウンサーと解説者が絶叫しているばかりで、観ている方がしらけてしまう。
同じ局の日本代表の国際試合では、この2人のコンビがほとんど。テレビ局としては、視聴者により多くの情報を提供するよりも、視聴者との感情の共有が最優先であり、その方が視聴率も稼げるという判断があるのだろう。その証拠に、冷静に分析する解説者はスタジオ解説という役回りだった。
話は戻るが、それにしても今回は親善試合。必要以上にゲームを盛り上げる必要はなかった。
J1の草創期、サッカーはなかなか得点が入らない、引き分けが多いからおもしろくないという声をよく聞いたが、最近は聞かれなくなった。それは観戦する側が、サッカーには得点以外にも局面、局面のおもしろさがあることを学んだからにほかならない。
サッカーに限らず、スポーツは情報量が増えるほど観戦する楽しみが増す。10年前の大リーグなんて誰も観ようとは思わなかった。冬季五輪でカーリングを知れば知るほどその奥深さにはまった人も多かった。
バレーボールの国際試合をテレビ局はバラエティー番組のようにタレントを出演させてそれなりに盛り上げるが、国内リーグの盛り上がりにはつながらない。テレビにスポーツを文化として育てる役割を期待するのは無理なのだろうか。
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投稿者 masatosato : 2006年06月02日 02:02 | コメント (0) | トラックバック (0)
公のお墨付きの心霊スポット?
ちょっと古い話になるが、ゴールデンウィークに南魚沼市、旧入広瀬村の道の駅「いりひろせ」に立ち寄った。鏡ヶ池公園の鏡ヶ池のほとりにある。池の水面に逆さに映る新緑の守門岳、池のほとんどを覆う雪、そして池を囲む満開のサクラと、息をのむような里の春だった。
![]() 鏡ヶ池公園の看板 |
その駐車場に「鏡ヶ池公園」とある看板があった。公共の看板としてはやけに漫画っぽいイラストで周辺の地図が描かれている。そこで目がくぎ付けになったのが、「心霊スポット」の文字。それも幽霊のイラスト入りだ。
幽霊は白装束に青帯、顔は青白く、足はない。髪が長いので女性なのだろう。頭には三角の布(額烏帽子や紙冠というらしい)をつけ、ごていねいに火の玉もふたつ、浮かんでいる。
「心霊スポット」が! |
心霊スポットへとつながる「旧道池の峠」は、あいにく雪で埋もれていて通られなかった。それにしても公共的な看板に「心霊スポット」とは。まさか看板業者が勝手に描き加えたわけではないはず。業者への発注原稿に「心霊スポット」を描き、完成後もしっかり確認したに違い。
残念なのは、いやでも興味を引かれる「心霊スポット」について、看板には何も記述がないこと。謎は深まるばかりだ。これは雪解け後に調査しなければと誓ったが、夜は避けて昼にしよう(笑)。
「遊歩道?登山道!」 |
ついでに看板には、ほかにも首をかしげる部分がいくつかある。下にあるのは「遊歩道?登山道!」。…って、どっちだよ〜。「遊歩道かも?。じゃなくて、登山道だよ!」と読み解くのだろうか。ひとりツッコミしてる場合じゃない。とか言いながら、こんなゆる〜い看板が大好きだ。
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投稿者 masatosato : 2006年05月28日 09:13 | コメント (0) | トラックバック (0)
携帯電話、今昔物語
携帯電話を買ったのは早い方だった。さすがに肩掛けの時代ではなかったが、初めて買った携帯電話はゾウが踏んでも壊れない筆入れくらい大きかった。当然、厚く、ずっしりと重く、スーツの内ポケットに入れると、重さでスーツが歪み、身につけるというより、かばんなどに入れて携帯するものといった感じ。死語と言ってもおかしくないポケベルが花形の時代。身近で携帯電話をもつ人はまれだった。
今となっては、うそのような話だが、当時、携帯電話否定派がかなりいた(笑)。そのほとんどは、最後に「一生、携帯電話はいらない」と嘲るように言い放ってくれた。そうした携帯電話否定派のすべてといっていい人たちが、今となっては携帯電話をもっているのは言うまでもない。
しかし、そこはおとな。携帯電話をもつようになった“元”携帯電話否定派をたいていはイジメなかったが、気まずそうに自分から言い訳を始める潔い人も。一部の親しい友人に対しては、まさに鬼の首を取ったように、思いっきりおちょくってあげた。それでイジメられた覚えのある人は、それは友情の証と、善意に受け止めてほしい(笑)。
元否定派の言い訳がまた、おもしろかった。示し合わせたかのように「…オレは必要ないんだけど…家族に持てと言われて…」(笑)。
いつか、子どもが「昔の人はケータイなしで、どうやって連絡をとりあってたの?。信じら〜んな〜い!」と言う時代が来ると当時、予言(笑)したが、実際にそうした声を聞くようになって愉快だ。
いち早く携帯電話を買ったのは、自由にどこからでも電話をかけたいという動機からだった。着信が嫌いなのは今も変わらず、携帯電話は常にサイレントモードだ。なるべく携帯電話の番号は教えない。用があるなら家の固定電話にくれ、と。
携帯電話の着信履歴をチェックするのも面倒くさくて、何度も携帯に電話したのに出ないと、ぶつぶつ文句を言われることもある。まったく不自由な時代になったものだ。とか言いながら、自分から人の携帯電話にかけてつながらないとイライラするのだが(笑)。
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投稿者 masatosato : 2006年05月23日 11:23 | コメント (0) | トラックバック (0)
電力会社のホームページに障害情報がないのはなぜ?
15日の停電には、まいった。停電の情報を掲載、発信しようにも、それに使うパソコンが停電しているのでは、手も足も出ない。電話連絡をと思っても、ISDNルーターに接続した固定電話は使えなかった。
昔と比べて企業のコミュニケーションツールは電気に大きく依存するようになっている。メール連絡はもちろん、遠くの営業所とネットワークで接続しているケースも珍しくない。IP電話もしかり。場合によっては停電で電話がつながらないために、倒産でもしたのではと勘繰られるようなこともあったかもしれない。
不思議なのは、東北電力のホームページに障害情報がないこと。昨年、新潟市を中心に大停電が発生する以前からおかしいと思っていたが、大停電後も障害情報のページはなく、今回の停電も翌日になってプレスリリースを掲載するにとどまった。ただ、これは東北電力に限った話ではなく、東京電力や関西電力でも同様のようだ。
プロバイダーではホームページの障害情報の掲載は常識で、必須ともいえる。停電はプロバイダの障害発生よりはるかに大きな社会影響を与えるにもかかわらず、障害情報を掲載しないのは納得できない。
もちろん、障害情報を知ったからといって停電の状況が変わるわけではない。しかし、停電復旧のおおよその時刻でもわかれば、次善の策を講じることができる。自治体や報道機関への速やかな発表は評価できるが、自前で周知できるホームページを利用しない手はないだろう。
プロバイダーならサービスに不満があれば、ほかのプロバイダーを利用すればいい。こっちの店が嫌いなら、あっちの店へ行けばいい。しかし、電力会社はガス会社などと同様、選択ができず、よその電力会社に代えることができず、必然的に公共性は高い。
障害情報を掲載しないのは、どうせほかの電力会社の乗り換えられないと、あぐらをかいていると邪推されても仕方ない。日常的ですらある原発事故の報告の遅れもそうだが、そうした利用者の邪推をぬぐい去ることができるかどうかは結局、電力会社の姿勢、取り組みにかかっている。
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投稿者 masatosato : 2006年05月19日 05:00 | コメント (0) | トラックバック (0)
なぜ、車のバッテリーは突然、だめになる?
夜遅く、友人の家から帰ろうと車に乗り込み、キーを回したら「キュルキュル…」。バッテリーがあがっていた。友人の車を借りて家へバッテリーを接続するケーブルを取りに帰ったが、「だるこっぺ」な性格もあって見つけられず、実家までケーブルを借りてようやくエンジンを始動させた。
その日の昼は、車で新潟市へ出掛けていた。新潟市でバッテリーがあがらなかったのは不幸中の幸いと思いながらも釈然としない。バッテリーは消耗品。あがるのは仕方ないが、なんで突然、その日がやってくるのか、ということだ。
車のスピードメーターと並ぶアラームランプのなかに、バッテリーの形をしたマークがある。これはバッテリーあがりを教えてくれるものかとも考えたが、バッテリーがあがればランプもつかなくなるわけで、意味がない。
バッテリー交換を頼んだカーディーラーの整備士に尋ねると、これはチャージ、充電の異常を知らせるランプとのこと。今時の高い車なら、バッテリーが弱ってくると教えてくれるの?と聞くと、バッテリー液が減ると教えてくれる車はあるらしいが、弱ってくることまで教えてくれないと言う。
これでバッテリーの劣化を判断できるのかどうかわらないが、例えばエンジンを切ったときにそのときの電圧を計測してフラッシュメモリに書き込み、次にエンジンをかけたときに再び電圧を測定して経過時間と電圧の低下量、できれば気温も勘案してバッテリーの劣化を計算し、あと何カ月くらいでバッテリーがだめになると知らせてくれるとかってわけにはいかないのだろうか?。
しかし、このハイテク時代に、なんで車のバッテリーがあがりそうなことくらい教えてくれないのだろう。ちょっと違うが、パソコンだって携帯電話だってバッテリー残量を表示してくれる。何百万円もする車にそれくらいの機能があってしかるべきと思うし、突然、バッテリーがだめになって最も困るものが車だ。
運転席のシートを電動で上下させたり、内装を着せ替えできたりする機能より、バッテリーあがりを教えてくれる機能の方がずっと大切じゃないの?。ただ、バッテリーの劣化の警告があったとして、実際にバッテリーがだめになる前に大枚はたいて交換するか?と問われると、なんとも…。
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投稿者 masatosato : 2006年05月12日 13:12 | コメント (0) | トラックバック (0)
ことしの夏、猛暑は「よしず」でどこまでしのげるか?
9日、10日と、ついに耐えきれずにことし初めて冷房をつけた。三条市の気温は25度の夏日にも届かなかったが、仕事部屋は西向き窓で、昼過ぎからじりじりと暑くなっていく。
つけっぱなしのパソコンなどの電気製品から出る熱もばかにならない。室温が上がると、パソコンの内蔵ファンの回転音も高くなり、仕事をしていても耳障りったらありゃしない。
窓を開け、上半身裸になっても室内の温度計はほぼ30度。我慢をあきらめ、窓を閉めてエアコンのスイッチを入れた。
西日がきついのは毎年のこと。2つある西向きの1間幅の窓には遮光カーテンを下げ、夏は西日が差し込むとともにカーテンを閉めているが、思ったほどの効果はない。窓ガラスをさわってみればわかる。体温よりはるかに熱くなっている。
正確に測ったことはないが、9日でも窓ガラスは50度くらいあろうかという暑さ。つまり約1畳の大きさの窓ガラス4枚、4畳分の50度に上がるパネルヒーターを設置しているようなもの。これでは部屋が暑いのは当たり前だ。
だから仕方ないとあきらめるのもしゃくに障る。窓ガラスが熱くならないようにすれば、かなり緩和されるはず。で、最近、思いついた。日本伝統の「よしず(葦簀)」の登場だ!。これなら窓ガラスに直接、当たる日差しを和らげてくれ、確実に効果があるはずだ。
まだ入手していないが、ネットでオンラインショッピングを調べると、洋風のものもある。洋風のものは特殊素材とあったりして、「燃えるごみ」に出せるんだろうかと考えたり、店舗のひさしによくあるテントスクリーンは値が張る。さらに考えれば、よしずは日陰をつくっても、すき間から風が抜ける。昔の人はよく考えたものだと感心したり。
そもそも、エアコンの電気代がもったいないという動機から始まったが、考えてみればCo2削減にもつながる。この夏は「よしず」をゲットしよう。皆さんも「よしず」はいかが?。
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投稿者 masatosato : 2006年05月09日 13:54 | コメント (0) | トラックバック (0)
IE7 Beta2登場、ブラウザの互換性問題は改善する?
マイクロソフトは9日、「Internet Explorer 7 Beta 2」を公開した。 5年ぶりのメジャーバージョンアップになるとのことで、待ちに待ったという感じだ。待ちに待ったと言っても、わくわくしていたのではなく、歯をぎりぎりいわせて待っていた。
ウェブデザイナーならわかるだろう。IE6の独自仕様は悩みの種だった。とくに問題だったのは、ウェブの視覚的な表現を実現するCSS(カスケーディング・スタイル・シート)への対応。なかでもCSSで基本的なパディング、マージンといった余白は、IEでは指定通りに機能しない。これはウェブの標準仕様を定める非営利組織、W3Cが定める仕様を逸脱しており、独自仕様ではすまされない。
問題なのは、IE6に独自仕様が多いことより、IE6のシェアが高いことにある。最も独自仕様の多いブラウザがデファクトスタンダードとなっている状況だ。そのため、W3Cの仕様にのっとってウェブページを作成すれば、IE以外のブラウザではほぼ問題なく表示されるのに、IEだけで表示がおかしくなってしまうため、W3Cに沿ったページを制作してから、IEでも正しく表示できるように修正を加えるという手順で制作を進めているデザイナーも多いだろう。
そのため、自分でページを制作するときはなるべくIEで表示が崩れない無難なCSSだけを使うよう努めてきた。裏返せば、IEのCSS対応の遅れが少なからず、ウェブ制作の現場のCSS対応の遅れ影響してきたと考えられる。
確認していないが、こうした独自仕様の多くはIE7でほとんど改善しているのだろうが、それはそれで新たな問題が発生する可能性も。IE6でしかページの表示を検証していないページは、IE7で大きく崩れる可能性がある。ブラウザが世界でひとつだけにでもならない限り、互換性の問題には永遠にウェブデザイナーを悩ませ続けるのだろう。
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投稿者 masatosato : 2006年05月08日 11:50 | コメント (0) | トラックバック (0)
燕南小学校合奏団とか(2)
「三つ子の魂百まで」。3歳くらいまで、幼少期に形成された性格は一生変わらないという意味。燕南小学校合奏団に入団したのは、4年生のとき。「三つ子」よりはかなり後になるが、人格形成に与えた影響は大きい。
合奏団では、6年生から団長が選ばれる。どんな方法で選ばれたのか覚えていないが、ともかくも団長になった。全国大会へ向かう列車(おそらく「とき」)で、先生から東京へ着くまでおやつの菓子は食べないようにとの注意があったのに、団長自ら率先して菓子を食べてこっぴどく怒られた…と、この年になっても親に嘲笑される。団長に不向きだったのは、言うまでもない。
それはさておき、おもしろいのは今も続く「団長つながり」だ。名前をアルファベットで隠すのも犯罪者みたいなので、わかる人にはわかるニックネームで。1学年上の

「心霊スポット」が!
「遊歩道?登山道!」